大人になると、誰しもそのひとのキャラクターが出来上がる。
そして、類は友を呼ぶという言葉とおり、周り集まってくる人も偏ってくるものだ。
そして、自分に対する接し方も段々偏りが出てくる。
こんなことは考えたこともなかったが、それに気付いたのは、自分に対しての接し方がそれまでと全然ちがったものを感じ取った時にはそれを感じざるを得なかった。
子供との入浴は大変
先日スーパー銭湯に行った。
家族で行ったのだが、まだ手が離れない娘が二人いるので、下の娘を自分が男風呂に一緒に連れて入れる事になった。
歩き始めたばかりなので、とにかくどこにでも歩いて行こうとする。
その割に、まだまだ歩行が不安定ということで、まさしく目と手が離せない。
湯船に浸かっても足が届かないので、当然手は離せない。
床が滑りやすいので、結局自分はアタマすら洗えなった。
銭湯はくつろぐところのはずだが、今回ばかりは全くくつろげなかった。
当然、これは誰のせいでもない。そういうものだ。
娘を連れた自分に、銭湯の中で起こったこと
しかし、悪いことばかりでもない。
スーパー銭湯なので、ほかにもたくさんのお客さんがいたのだが、年齢層はいろいろで、小学生グループもいれば、中年くらいの人、定年前かな、と思われる人もいれば、老人もいる。
まず、娘を抱っこして湯船につかると、前にいた老人が笑顔でこちらを見ている。
娘の体を洗うために立たせていると、隣のおじさんが娘に「頑張って立ってるねぇ」と声をかけられる。
さらに露店風呂に行くと、小学生グループ約5人。
「あ!赤ちゃんが入ってきた!」
「おー、可愛くない?」
「やべーやべー」
と騒ぎながらこっちにくる。
「何歳ですか?」
と質問がきたので、1歳1ヶ月と答えると、全員で「わーー」。
それに引き続き、娘を笑わせた人が勝ち、というゲームが始まる。
ここ10年以上ない経験と感覚
娘はまだ1歳1ヶ月なので、言葉も出ないし、ほとんど何も理解していない。
だからなのか、そういった人たちの笑顔、声、接し方はダイレクトに自分に向けられている気がする。
当たり前が、ここ10年以上、あんなに人を笑顔にさせたことはないし、あんなに優しくされたこともない。
その心地よさといったら、銭湯でアタマを洗えなかったことなんてどうでもよくなるくらいだ。
人が変わるきっかけは、自身に対する接し方
人は、自分に対する接し方が変わるだけで、その人自身も変われるのかもしれない。
良い方向にも、悪い方向にも。
子供が笑うのには2つの意味があって、一つは自分自身が笑いたいから、もう一つは親を笑顔にさせたいから、ということを聞いたことがある。
しかし、子供だけでなく大人もそう意識すれば、自分の周りから少しずつ何かが変わるのかもしれない。