学歴の意味が問われ始めて結構経つと思います。
昔は、大学に行くことは素晴らしいことだし、就職条件も良いし、つまり給料や待遇が良いところで働くことができて、人生の成功者になれる、というのが当たり前でした。
ところが、バブルがはじけ、不況、デフレ、、、就職もそう簡単にはいかなくなってきました。
余裕がない時に企業がほしい人材は、即戦力です。
偏差値の高い大学の卒業生なら「概ね」大丈夫、といった大雑把な人事をする余裕がなくなったのだと思います。
そうなってくると、果たして大学に行く、大学を卒業するという本質的な意味はなんなのか、という疑問が生まれてきます。
日本の大学は一般に、入学のハードルが高く、卒業のハードルが低い、と言われます。
実は私も某国立大学卒業生ですが、その通りだと感じます。
大学受験のときほど勉強に打ち込むことなんて、大学に入った後にはほぼ無い。
卒業研究のときは確かに大変ですが、受験と比較すると劣ると思います。
その結果、20歳前後の大学生がやることは、遊びまくることです。
本来大学は勉強するところですが、そんな理由で大学に入る人なんて、少なくとも私の時代にはほとんどおらず、「就職斡旋機関」というイメージのほうが勝っていましたから、遊びたい盛の年齢と、遊んで良い環境が合わさると、勉強よりも断然遊びです。
繰り返しますが、それでも就職できる時代が長く続きました。
つまり、大学に入って遊びまくってなにか問題でも?ということです。
ところが、就職がそう簡単にできない、できてもそんなに条件が良くない、となれば話は変わってきます。
よほどのテスト好きでない限り、受験はやはり辛い。その結果得るものが「大学生」「大学卒業」という、中身があるようなないような肩書だけで、その後の良い条件の就職が約束されないのならば、あの辛い受験勉強とのバランスが悪い。
費用に関してもそうです。
私立はもちろんのこと、国公立大学でも、学費はそんなに安くありません。
4年間遊べる、というだけで安くない学費を払い、就職の不安もある大学進学を、今一度考え直す、という人が出てくるのは必然です。
どうせ望むような就職が期待できないのならば、大学に行って過ごす見通しだった4年間を、やりたい仕事に就くための行動期間に充てたほうが良い、という人が出てくるわけです。
ところが、ここで別の登場人物が出てきます。
親です。
大学に行く人は、そのほとんどが、学費を親に頼っています。
そして、親の世代と今の世代は、大学や就職というものに対するイメージがまるで違う。
ある程度まともな人間なら、親から資金援助を受けて大学に通い続けたら、就職に際しても親の意見を完全無視するわけにはいかない、と思うものでしょう。
ところで、一般的な大学へ進学する人のほとんどは、将来設計が具体的には決まっていません。
ミュージシャンになる、美容師になる、料理人、芸人になる、といった明確な将来を想定している人は、あんまり大学には進学しないと思います。早めに現場に出て修行を積んだほうが良いからです。
(もっとも、最近は「東大芸人」という肩書がインパクトという意味で芸人としても使える、といった戦略を立てた上で東大に入学するという人もいます)
昔の大学進学理由には、将来設計が具体的には決まっていないから、選択肢が多そうな大学進学を選ぶ、といったものが多い。迷ったらとりあえず大学、ということですね。
しかし、受験の頃に塾や予備校に通わせ、大学に入った後も学費、生活費を負担した親ならば、その大学の偏差値が高ければ高いほど、それに見合った就職先に行ってほしい、と望むものです。
その意見を取り入れるということはつまり、選択肢が減る、ということです。
選択肢を増やすために無難な「大学進学」を選んだはずなのに、実際にはそういかない。
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大学に行く、とはどういうことなんでしょうか。
その捉え方は、景気によっても、時代によってもどんどん変わります。
繰り返しますが、本来大学は勉強をするところで、本当にそういった大学だった期間もあったでしょう。
しかし、今は違う。それこそが、大学の捉え方が変わった、ということです。
もちろん、今後も時代が変わるにつれて、大学の捉え方も変わっていくことは間違いない。
時代によって変わるから、世代が違う親と子が絡んだ時に、意見が食い違いやすい。
少なくとも、これから大学に行こうとしている人は、なぜ自分が大学に行くのか、ということをしっかりと考るべきです。
それを考えることは、受験科目の内容を学習することよりもずっと深い意味があります。