あおり運転が話題なったのでふと思いましたが、そもそもハンドルを持ったらなぜ性格が変わるのでしょうか。
そう思って調べてみると、ドレス効果、という心理作用があるそうですね。
自動車って、当たり前ですが人間よりパワーが速くて大きい。
そんなものを自分のおもいのまま操れるわけです。
それが性格に影響する、とのこと。
印象でしかありませんが、確かに大きな車に乗っている人のほうが運転が荒い気がします。
これは一つの要因としてあると思いますが、私はもう一つ、顔が見えない、ということも外せない要因だと考えます。
ちなみに、今回のあおり運転で逮捕された人にはこの要因はあてはまりません。
ただ、相手の車を止めさせ暴行を加える、といった狂気じみた行為まで及ぶ人は、ハンドルを持ったら性格が変わる、という同様のベクトルを持った人のなかでも一部だと思います。
そこまでではない人においては、ほとんど顔が見えない、直接対峙することがありません。
顔が見えないと態度が大きくなる、と言えばネットです。
ネットで罵詈雑言を連発している人のアカウントは、そのほとんどが本名ではありません。
直接対峙していないし、顔も見えないからこそ、態度が大きくなる、という側面はあると思います。
普段は単なるいち市民が、ネットで発言し、それをリアルな友人の数なんか比にならないほどの人に届けることができるのがネットです。
そう考えると、自分の素性を隠すことができたら、多くの人は暴力的になる、ということなのかもしれません。
人だって動物です。生存本能や競争本能においては、他の生物と変わりません。
ただ違うのは、それを覆う理性の発達が大きい、という点です。
つまり、ハンドルを持った時に出る荒々しい態度や、ネット上の大きい態度は、その人の本能が垣間見えている、とも言えるのかもしれません。
私は、本能が悪いとは思いません。
ただ、それは他に影響しないという範疇で、という条件つきです。
そもそも人が理性を持って守ろうとしているのは秩序です。
秩序は、複数の人間が集まって社会を形成する時に必要とされた概念です。一人だけならば必要ありません。
だから、広大な敷地を用意し、そこでスポーツカーに乗って暴走して快感を覚えたり、ネット上で独り言のように毒を吐き続ける行為は、特に問題ないと思います。
ただ、上記したようにそれが他に影響する可能性があるのならば、秩序という概念を持ってして自制しなくてはいけません。
欲求に従うだけだと、秩序維持は不可能です。
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人は基本的に暴力的だ、ということを認めた上で、それを自分自身でどうやって抑制するか、社会はどうやってその暴走をとめる仕組みを構築するのか、ということが大切だと思います。