こういうニュースもあとを絶ちませんね、、
筆算で定規を使わなかったらなんでだめなんですかね。
大人でもそういう疑問をもつから、子どもはもっと不思議に思うでしょうね。
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大人になって働くようになったら、サラリーマンはもちろん、フリーランスであっても社会の一部になるわけだから、そこには法律以外のルールがあるし、秩序を守ろうとする一人ひとりの努力は必要です。
学校って集団生活を学ぶ良い場所になりえます。
個性が大事、とか言ったって、集団の中では自分以外の意見もいっぱいあるし、みんなが言いたい放題、やりたい放題では、いろいろと困ります。
ただ、少なくとも大人は、なぜそういうルールがあるか、くらいは伝えなくちゃだめでしょう?
子どもだからわからない、ではなくて、わからなくてもまず説明する、伝える。
これまでこうやってきた。
決まりでこうなっている。
これらの言葉を、必殺技として子どもにいつも使ってたら、子どもも大人になってもそう言いますよ。
それって何一つ発展しない。
思考力がー、とか言ってるくせに、思考力を減らそうとしているのに等しい。
今回の場合なんて、疑問を持った父親に対しても「学年で決めています」とこたえたそうですね。
これで納得するのはオトナな対応でもなんでもありませんよ!
最初の方に書いてあるように、定規で書かなかったら、リズムが崩れ、計算ミスも増える、という理由があるのならば、ちゃんとそう伝えれば良い。
それだって、どこまで確かなデータがあるのかわかりませんけど。
(天才数学者の計算メモは、意外と乱雑です)
大体、順番が逆ですよ。
計算ミスが多かったり、遅かったりする生徒に教えるときに、「定規を使ったらもっとミスが減ったり早くなったりするかもよ」って教えれば良いだけですよね。
最初からミスも少なく、計算も早かったら、それで良いじゃないですか。
計算するのときの書き方を他人とそろえる必要ってあるんですか?
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子どもが何かに疑問を持つことって、本来良いことだと思います。
大人が常識や経験にとらわれて疑問にすら思わないことに気づく可能性が高い。
それを「決まりだから」「これまでそうやってきたから」で済ませることが、お互いにとってどれだけマイナスか、考えてほしいと思います。
これが会社なら、そんな会社はさっさとやめて別のところに再就職するということもできますが、小学校は義務教育で、公立校は選べません。つまり強制です。
そんな中で、子ども教育にとって貴重な6年間を過ごすなんて、損失がハンパないっす、、