日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

先生同士のいじめニュースから考える組織論とそもそも論

教諭による同僚教諭へのいじめ…『面白かった』と授業中に児童らに内容を話す(MBSニュース) - Yahoo!ニュース

 

いじめのニュースですが、生徒同士ではなく教諭同士です。

 

先生同士でこんなことがあるなんてありえない!という意見も多そうです。

確かにその通りですが、ちょっと考えたらいじめはいたるところにあります。

 

私の娘が通っている幼稚園の保護者間でもそういうことはあるそうですし、職場でもあります。

 

これらを改善していくのに、人のモラルに頼っていても埒が明かないと思います。

もちろんモラルは大切ですが、モラルという言葉は多少抽象的です。

こういうのを伝えていくのは、本当にムズカシイ。

 

モラルに頼る以外の方法は、環境や仕組みを考え直すことです。

 

環境の方は、今の時代なら監視カメラです。

学校に的を絞って言えば、そもそもなぜ学校には監視カメラがないのでしょうか。

プライバシーがぁ!という人いますけど、学校って公の場所ですよ。

カメラの映像は、なにか事件があったときに確認するために使えばよいのであって、公開されることもないので、プライバシーの問題はありません。

 

同じことは、痴漢冤罪防止のための電車内監視カメラ設置にも言えます。

こちらは、少しずつ設置が始まっていますね。

 

それから、仕組みですが・・・

 

いじめが起きやすい場所と起きにくい場所があります。

起きやすいのは、小中高、それから会社。

一方、起きにくいのは大学。

 

何が違うといえば、同一集団で固まることが強要されているかどうか、です。

 

大学は行った人なら知っているでしょうけど、講義ごとに出席するひとも変わります。

小中高みたいなクラスはありません。

それに、出席義務も小中高に比べて低い。

 

つまり、組織の結束を強くすると、えげつない副作用が生まれる、ということです。

組織のあり方や必要性を改めて考える時期に差し掛かっていると思います。

 

 

いじめで自殺といった事件のときに必ず耳にする意見が「なんでそんなに辛いのに学校に行き続けたのか」です。

本当にその通りなんですが、少なくともこの国では、逃げること、やめることに対する抵抗が強いし、そう思わせるような教育をしているように思います。

加えて、嫌なことでも乗り越えていく、ということに対する美学が根強い。

 

そこに「なぜ」があればまだ良いのでしょうが、概念だけが受け継がれ、形骸化し、気づくと自殺に追い込まれるほど精神的に参っているのに学校には行き続ける、というわけのわからない行動を続けてしまうのです。

同じことは過労死にも言えます。

 

 

今は世界中の情報が瞬時に手元に入ってくる時代です。

日本が特別なのは別に悪いことではありません。

ただ、いま問題視されていることの要因が「昔から日本ではこうやってきた」といったことの場合、同じ人間が国家や社会を形成している他国で、かつそういった要因がないという事例に目を向け、やり方はいろいろあるようなので一度リセットして考えてみよう、と考えるのが健全ではないでしょうか。

 

情報やニュースは、考えるきっかけを与えてくれるものです。

そうであるべきだと思います。