ミュージシャンたるもの、社会性がなければないほどかっこいい。
そんな時代がありました。
コンサートは、お金も時間も手間もかかります。
非凡なものを求めるのは当たり前ですよね。
その辺にいる人を見るのに、そんなにお金も時間も手間もかけられない。
ミュージシャンの社会性のなさは、だから認められてきたのかもしれません。
ただ、時代もだんだん変わってきました。
社会性がないということは、多少なりとも周りの人間に迷惑がかかるということです。
普段ならスポットが当たらないような人に、その迷惑が及ぶ。
そんな人達が、手元のスマホから心情を発信できる時代です。
マイノリティーの主張をなんでもかんでも聞き入れるわけにはいきません。
ただ、それを知り、改善できるのならしたほうが良いですよね。
ミュージシャンがオーディエンスを魅了するのに、社会性のなさは一つの武器だったかもしれませんが、あくまで一つの選択肢。
むしろ、誰かが傷つくような行為なしに、オーディエンスを魅了する方法を模索するプロセスの方がかっこいいんじゃないか。
そう思われる様になってきたと感じます。
社会性のなさとは少し違いますが、健康に気遣うミュージシャンが増えてきたのも、同じような流れではないかな、と思います。
前夜祭で朝まで飲みまくって、二日酔いガンガンでもステージにたってばっちり良いステージをかまし、打ち上げも最後まで参加。
からだのことを考えたら決して良くない、そんなふるまいもミュージシャンなら当たり前だった時代がありました。
でも、ミュージシャンも人間です。
あるCD屋さんの、あまりにも有名なキャッチコピーに
「NO MUSIC NO LIFE」
ってありますよね。
でも、私は逆だと思うんです。
「NO LIFE NO MUSIC」
命が無いと、音楽は(でき)ない。
ミュージシャンは、社会性がないほうがかっこいい。
ミュージシャンは、健康なんかくそくらえだ。
そんな時代はもう終わって良いと思います。