自滅系起業家を指す新ワード「苦業家」とは? – BRIDGE(ブリッジ)
起業家に限らずいますね、何かと苦労を美化する人。
今でも本屋には、自己啓発系の本が平積みされているのを見ると、今の自分からあと一歩上のステージへ行って成功をおさめたい、という人が多いようです。
で、そういう人の中には、苦労しないと次のステージへいけない、成功できない、と思い込んでいる人がいます。
確かに、成功者に話を聞くと、苦労している人は多い。
でも、原因と結果が逆転していると思うんですよね。
苦労したから成功したんじゃなくて、成功した人の中には苦労人が多い。
これは似ているようで違います。
日本には、苦労は買ってでもしろ、ということわざがあるくらいなので、苦労は理屈抜きに美しいことらしいです。
誰がこんな言葉作ったんでしょうか?
それとも解釈の仕方が違うのかな・・・
お客様は神様、と同じように
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冒頭の記事では「苦悩ポルノ」と書いてありますが、似ている言葉に「感動ポルノ」があります。
感動ポルノは本当にやばい。
すぐに思いつくのは、学校の体育祭なんかである人間ピラミッド。
建設現場ですら、高所での作業ではヘルメットや命綱着用の義務が法で定められているのに、学生が不安定なピラミッドをするのには、大した安全策が取られません。
(7段ピラミッドともなると、高さも相当なものですよ)
せいぜい、先生たちが見張っているくらい。
これが許される構造が感動ポルノです。
では、なぜそれで感動するのかというと。苦労して練習したから、というストーリーがあるからです。
苦悩ポルノは苦悩(苦労)している人間、感動ポルノはその周りの人間に対して使う言葉ですね。
どちらも極めて不健全。法律すら捻じ曲げるくらいですからね。
今、佐々木俊尚さんの「時間とテクノロジー」を読んでいるところですが、確かに因果の物語が当たり前だった時代が長く続きました。
でも成功にも感動にも、因果は不要です。
とある音楽を聞いた時に、その音楽を作った人の生い立ちや、その曲ができた背景なんかを知らなかったら感動できませんか?
ただその音楽に感動した、それだけで良い。
背景は知りたい人は調べれば良いですが、知らなくても感動できるのは確かです。
感傷に浸るためのストーリー、そのための苦労はいりません。
苦労は後から振り返る結果です。