結構過ぎちゃいましたけど、成人式がありましたね。
人は、成人式を迎えたその瞬間から成人できるわけありません。
20歳の誕生日もしかりです。
お酒やタバコ、その他の法律を制定する時に、ちゃんとした線引が必要なので、法律的に成人と定めているだけで、法律が関係ない場合で使う成人、つまり大人というのは、そんなに簡単に定義できません。
そう考えると、成人式を迎えたからって特に祝うべきことなのかな、と素朴に疑問に思います。
こんなひねくれた考えなので、私自身は成人式にも行ってません。
その日は確かアルバイトしてました。
正月とかと同じで節目は大切だと思います。
「今年の抱負は・・・」みたいなことがどれだけ達成されるのかはわかりませんが、年という単位があるからこそ、そう思うきっかけにもなる、とも言えます。
同様に、成人したのだから、と何かを考えるきっかけにすることは良いことだと思います。
逆に言えば、それがなかったら特に成人式を意識する必要はありません。
同窓会の如く友達たちとあって、合法となったお酒を酌み交わし楽しむことを否定しているわけではありませんが、それは少なくとも成人式が存在する理由のメインではありません。
大人になるというのは、自由と責任を手に入れる、ということだと思っています。
自己責任の元で、なんでもやって良い。
それをポジティブに捉えるかネガティブに捉えるかは人それぞれです。
よく、「人生なんて辛いことの方が多いんだから、、、」と悟ったように言う人がいますが、そんなことは誰から言われることでもありません。
自分で切り開いていき、後から振り返った結果が、辛かったことが多かったか楽しかったことが多かったか、というだけです。
一般論化は不可能だし、意味もない。
これからどうなっていくのか、どうなっていきたいのかを自己責任の元で決めるのですから、言い訳も許されません。
生まれた時代が、環境が、親が、友達が、、、いろんな事を言い訳にしてよいのが未成年。だから行動を法律で制約されています。
大人になったら、そんな言い訳をしても「だから何??」と言われます。
「会社の上司が最悪でさー・・・」
「じゃあ辞めれば??だって自分で選んで入社したんでしょ?」
以上です。
これが大人になるということで、その線引をあえてするのが成人式や20歳の誕生日です。
これは祝うべきことでしょうか?
そもそも、本人はさほど努力せずとも成人はできます。
敢えて言えば、それまで責任をもって育ててきた保護者に対して「親の役目卒業おめでとう」の日が成人式で祝うべきことなのだと思います。
ということで、成人した人におめでとうとは言いません。
さあ、これから楽しみだね、と声をかけるようにしています。
成人するということも、改めて考えてみましょう。