日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

ある程度の年齢で夢を追いかける、ということ

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すごい人がいるものですね。

 

一番印象に残ったのは、ゴミ人間の説明のところです。

西野さんの説明を自分なりに要約すると、、、

 

幼い頃に抱いた夢は、ある程度の年齢になったら折り合いをつけざるを得なくなる人も多い。

ただ、ある程度の年齢になっても夢を追いかけている人もいる。

叶うかどうかは別として、それは輝いて見える。

 

折り合いをつけた側、つまり夢を諦めるという選択をした側からみると、夢を追いかけている人を見るのは苦しい。

その人と自分を比較して、その人のほうが輝いて見えたら、自分の選択が間違っていたのではないか、と考えてしまうから。

そんな考えを抱くのが辛いから、夢を追いかける人を、いろんな理由を見つけては叩く。

 

私は、どんなに贔屓目に見たって「ある程度の年齢」を超えています。

つまり、折り合いをつけざるを得ない年齢を通り越したということになります。

 

これだけ生きてくると、やっぱり「叶わなわい夢はない」なんて到底言えません。

諦めざるを得ない環境にいる人もいます。

夢を追いかけている人は、そうでない人よりも必ず幸せか、というのも答えが出せない。

 

ただ、夢を追いかけることができる環境の人が、夢を追いかけ続けるのは自由。

少なくとも、年を重ねて夢を追いかけることが恥ずかしいから、それっぽい口実(=夢をおいかけられるのは若い時までだよねー的な)で夢を追うことをやめてしまっている、という人々は意外に多いと思います。

 

叶うかどうかわからないなりにもう一度夢を追いかけてみよう、と思えることは素晴らしいことじゃないですか。

誰かが言ってましたが、成功の反対は失敗ではなくなにもしないこと、です。

 

ある程度の年齢になっても夢を追いかけているひとが嫌われる理由。

それが西野さんの言っている理由だとすれば、それは嫌っている人がもともと夢を追いかけていた、という証でもあります。

 

いや、夢というワードがちょっとくすぐったい気もします。

やりたかったこと、程度のものでも良い。

そして、そういうものって大人からすると単純すぎるようにみえるんですよね。

ただ、複雑なものがいつも高級とも限らない。

 

私は職業柄、音楽を志す人に頻繁に出会います。

その中には、ある程度の年齢を超えているといえる人も少なからずいます。

 

でも、結構良いもんですよ。

刺激ももらうし、「今はできない」は言い訳なのかな、なんて自問してしまいます。

ある程度の年齢である自分が、これからできること、やりたいこと。

考え始めたら意外と多くあります。

空を飛んでみたい、とかね。

 

 

こういうコンテンツをYouTubeで見られるようになったというのも、時代だなと感じます。