いじめってなくなりません。
でも、だからこそ少しでも減らす努力が必要です。
いじめる方が悪い。
いじめられる方にも問題がある。
私は圧倒的に前者の考え方ですが、悪人に処罰をあたえるだけでうまくいくほど単純でもありません。
私は、社会全体の努力があまりにも足りない、と考えます。
なぜ学校にカメラを設置しないのか
カメラを設置しないのは、プライベートがぁ、という人がいますが、学校ってそこまでプライベートを求めるものでしょうか?
なにかあったときに、一部の人だけが見られるものとしてカメラ設置は当然の対策です。
これがだめなら、世の中のありとあらゆるカメラはNGなはずです。
ちなみに、セキュリティーがぁ、というのは本末転倒です。
カメラが無いがために起こっているいじめがあるんですよ。
暴力行為が学校で行われた場合、なぜ警察に連絡しないのか
警察に連絡しないのは、学校内で解決しなかったら、学校の敗北だ、という考え方があるそうですね。
その昔、まだ日本が軍事国家だった頃は、国家が教育にも踏み込みまくったそうで、それが日本を戦争に向かわせた一つの要因になったそうです。
だから、終戦後の教育現場には、基本的に国家権力を行使しない、ということだそう。
でも、戦後70年以上経った今現在、国家が閉鎖的すぎる教育現場を監視し行使する、という機能も改めて発動させないといけないのではないでしょうか。
そもそも学校や先生は、民主的に決まるわけではありません。
私立以外は学校選択の余地もないし、先生も選べない。
国会議員は違います。少なくとも国民の選挙で選ばれます。
国家権力は、そういった人たちの元で行使されるものです。
辛くても毎日学校に行くことを重要視しすぎていないか
辛くても学校にいかななくてはいけない理由は、社会にでて辛いことがあったときに逃げ出す癖がついてしまうから、というもの。
はっきりいいますが、それは間違ってます。
社会に出たら、いくら辛くても最終判断は自分でします。
会社があまりにも辛かったら、自分で「辞める」という判断をしてよいのです。
その判断力を社会に出るまでに身につけておかないと、ストレスで自殺するという最悪な事態が起こるのです。
会社のストレスで自殺してしまう要因には、辞めることに対するネガティブな印象を過剰に与えすぎたことがあるでしょう。
どこかのYouTuberが話題になってますが、学校は行けたら行ったほうが良いと思いますよ。
でも、行かないは絶対ダメ、というのは極端すぎます。
学校に通い続けることが善、行かないのは悪、ではありません。
命があることが善、命を落とすことが悪です。
命より大切な思想なんてありますか?