アナ雪から7年、May J.が明かした“一生癒えない傷”「それでも『Let It Go』歌い続けたい」(オリコン) - Yahoo!ニュース
音楽って何が素晴らしいかって、自分の中のナンバーワンを勝手に決めて良いエンターテイメント、というところです。
オリコン100位の曲を最高だ、と思っても良い。
ダウンロードランキング1位の曲を好きになれなくても良い。
でも、だからこそ気をつけなくてはいけないことがあります。
自分の感想をまるで一般論かのように語らないことです。
May J.さんは、歌がうまい。
これは主観でも感想でもありません。
歌のうまさは、数値化できるからです。
音程、リズム、声量、発声テクニックなど、これらは分析できます。
カラオケで点数を出せるのは、こういった分析を機械的に行っているからです。
でも、音楽の良さはうまさと関係がありません。
ここを過度に捉えすぎた人たちの意見にMay Jさんは傷ついたのです。
どういうことかというと、うまいからって良いとは限らないぞ、という意見がわんさか出たわけです。
うますぎたからこそでしょうね。
確かにその通りなんです。
一方、うまいから「良くない」とも限らない。
そんなの当たり前、と思うかもしれませんが、この記事へのコメントにすら、ここを履き違えている人がいますね。
歌がうまいけど心に響かない。
歌手なのにカバーばっかり歌ってるから、オリジナリティーがない。
事実と主観を混同しています。
歌がうまい:事実
心に響かない:主観的感想
好き嫌いは勝手なので、ある人の心に響かなくたって仕方ないのです。
というか、万人の心に響く歌なんてありません。
事実と主観的感想を一緒に書いちゃうと、主観的感想ですら事実っぽく(一般論っぽく)捉えてしまうのは私だけでしょうか?
コメント欄は各々が主観的感想を述べて良いところなので、別にどんなコメントを書いても構わないと思います。
ただ、繰り返しますが一般論的には書かないでほしいな、というのが私の願いです。
私は、May Jさんの歌好きですよ。
人によっては心に響かないかもしれませんが、私はちゃんと感動します。
歌のうまさを追求することは悪いことではありませんよね?
歌がうまいことが、誹謗中傷の要因になるような世界は健全ではありません。