ひろゆき氏、好きですよ。
情報量もすごいし、論理的。
佐々木氏が言うように、上の世代がふわっとさせてきた部分に対するうんざり感を、少ない言葉でズバッと斬る感じはまさに爽快です。
私の意見ですが、、、
ひろゆき氏は、物事を合理的にとらえる、ということそのものが哲学の一部になっていると思います。
そういうところは、私とちょっと近い感覚です。
(私の能力がひろゆき氏と近いという意味じゃないですよ)
ただ、これも単なる切り抜きかもしれませんが、矛盾も少し感じました。
ひろゆき氏は講演等でひとりで話すことが苦手という理由に「言いたいことがない」をあげています。
一方、自身の動画ではその考えに至った根拠を述べているが、論破部分だけが切り抜かれ話題になる、とも訴えています。
根拠と哲学や思想は似ているようですが違います。
言いたいことがないけど述べている根拠はある。
これは哲学や思想があまりないのでは?と感じるのです。
論理性、合理性自体が目的になっているのでは、と。
議論すること自体が目的化しないようにするために不可欠なのが、哲学や思想だと思います。
この議論に勝つか負けるかではなく、この議論によってどんな折り合いをつけ、どんな方向に向かっていくのか。
それが議論の目的です。
ディベート等で行われるのは、議論をするうえでのトレーニングです。
ディベートでどれだけ勝っても実際の世の中は変わりません。
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私は、人間は感情の生き物だと思っています。
いわゆる論破されたほうが、自身の矛盾に気づくきっかけになり、新たな知見を得られたとなったら、それは良い議論です.
しかし論破という言葉がもつ印象通り、負けた方は負けたというマイナスな感情しか残りません。
そして第三者がそれをみても、爽快感が残るだけで、やっぱり世の中は変わらない。
日本は議会制民主主義です。
議論は国家の行末をきめる根幹です。
有意義な議論ができる人が増えた分、この国は間違いなくよくなります。