私は本を、フィクションとノンフィクションに分けて考えています。
今回は、このうちノンフィクションについてです。
私がノンフィクションを読むのは、知的探究心によるものです。
向上心と言っても良いかもしれません。
ところで、最近「何に興味があるか」を書き出してみました。
- 聞く力
- 文章
- 運動
- ネットワーク
- 経済
- 脳、倫理
- 歴史、戦史
- 地政学
- 英語
- 働き方
- 宗教
- 統計学
- 哲学
- 和音、ハーモニーのメカニズム
多分、まだあります。
Amazonでこれら興味がある分野の本を見つけたら、ポチって読んでみる。
こういったことを繰り返した結果、何が起こったか。
どの知識も中途半端だと気づいたのです。
Amazonでなんとなく面白い本を探して、興味がある分野の本を見つけたら、ポチって読んでみる。
興味がある分野が多くあるので、一つの分野の深堀りがおろそかになるのは当たり前です。
なぜこんなことになってしまったのでしょうか。
興味がある分野が多い人は、仕方ないのでしょうか。
私は、
「知識をつけること、本を読むこと自体が目的化している」
のが原因だと思います。
大切なのは、知識をつけることや本を読むことではなく、
- 何の知識をつけるか
- 何の知識をつけるために本を読んでいるか
です。
こうも言えます。
知識をつけるために本を読むのであって、本を読んで知識をつけるのではない。
ということです。
私のように、この罠にハマっている人は少なからずいると思います。
似たような現象に、自己啓発本があります。
自身を高めるために自己啓発本を読むのではあって、自己啓発本を読んで自身を高めるのではありません。
(だから、自身を高める別の方法も考えるべきです)
私がこのことに気づいたきっかけは、書き出したことでした。
大切なことを発見するために、考えていることを書き出してみる。
これもまた重要なことのようです。