日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

自由になるための技術 リベラルアーツ/山口周 読了

 
最近、山口周さんの本にハマっています。
以前から知ってはいましたが、ここ最近改めて読むと、なるほど感が強い。
コロナの影響で、社会というものを再考せざるをえない世の中だからなのかもしれませんね。
 
ハイライトしたところを紹介します。
 

西洋音楽は教会音楽が基になって確立されていったもの

 

そうなんです、教会と西洋音楽(ロックとかポップスとか)はかけ離れているように感じますが、そうではありません。

平均律が生まれたのは合理的な理由で、そこから転調が可能になり、譜面もかけるようになったんですよね。

 

いろいろと理屈をこねている人に、「まあ、まずは黙って坐れ」と言うのが禅

 

私が本書を読んで面白かった理由、それは私が信じていた「論理」の限界の説明があったからです。

文字にも言葉にもならないところに宿るものを感じるのは面白いですよね。

 

「絆」とは一方がもう一方にもたれかかるような関係ではなく、一人ひとりがしっかりと自分の足で立ちながら、互いに手をつなぐことで初めて生まれるもの

 

東日本大震災のときなんかは、「絆」という言葉が巷にあふれ、正直辟易していた自分もいました。

助け合うのは大切だけど、こっちの身も持たない、と感じていた当時。

でも、絆を大切にするには、自立が条件、と捉えると腹落ちしました。

当時私が求められていたのは、絆ではなく「お願い」ばかり、つまり依存だったから苦しかったのかな、と思います。

 

たとえ損得計算の結果がプラスでも、それは善くないと価値判断して抑止できるかどうか」、ここにリーダーとしての真の資質があるのだと考えています。

 

私の恩師の判断は、「おもろいかどうか」です。

関西の人だからなのかもしれませんが、こういった判断ってこれからの時代にマッチするでしょうね。

合理的に考え、主観的に決断する、といった感じでしょうか。

 

日本人にとっての倫理は「世間体」によって象られています。

 

言われてみるまで気づきませんでしたが、たしかにそうかもしれません。

自立することと迷惑をかけないこと、この2つさえ守れば自由で良い、と私は思っていますが、後者の「迷惑」は人によりますよね。

別箇所にかいてありますが、迷惑のはっきりとした英訳はないそうですね。

 

人によって柔軟に倫理を変えることは果たして良いことなのかどうか。

難しいところですが、芯が通っていないという気がしないでもないですね。

 

重要なのは、(中略)「常識を疑う」という態度を身につけることではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということなのです。

 

自己啓発本に書いてありそうなことBEST5に出てきそうですね。

常識を疑え。

実際常識を疑った結果行う行為は、なかなかに風当たり強いですよね。

そんな風が吹く世間にも問題はあるかもしれませんけどね。

選球眼をつけるためには、「人・本・旅」ですかね。

 

 

本当に良い本でした。

早速次の本を読んでいます。