村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んでいます。
この本からは、村上さんの物事の捉え方や考え方が随所に垣間見えて、とても面白い。
その中で、特に心を掴まれた一節があります。
生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。
(中略)
しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。
(中略)
小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。
作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。
だからひとつの水源が乏しくなってきたと感じたら、思い切ってすぐに次に移ることができる。自然の水源にだけ頼ってきた人は、急にそれをやろうと思っても、そうすんなりとはできないかもしれない。
この文章を読んで、私はすぐに音楽の世界にもそのまま当てはまると感じました。
音楽の能力においても、やはり才能の有無は確かに存在します。
不公平だと感じる人もいるかもしれません。
しかし、私の周りを見渡しても、生まれつきの才能「だけ」でうまくいっている音楽家は、一人もいません。
言い換えれば、素晴らしい才能を持ちながらも、なかなか思うようにいかない人も大勢いるのです。
逆に、たとえ「才能がない」と感じていたとしても、だからこそ才能がある人よりもたくさんの努力を強いられ、その結果、大成している人はたくさんいます。
私自身の考えとして、音楽における才能の有無は、その人がそれで成功できるかどうかとは、基本的には関係ないと思っています。
これは、もしかしたら自分には才能があるかもしれない、と心の中で漠然と考えている人にとっては、ある種の警鐘となるかもしれません。
大切なのは、才能の有無ではなく、村上さんが言うように「新たに深い穴をあけていく」地道な努力と継続なのだと、改めて気づかされました。