
普段は「政治」「スポーツ」「宗教」という、いわゆる”3つのS”の話題は避けるようにしていますが、昨日の衆院選開票を見ながら感じたことについて、少しだけ記しておきたいと思います。
前提として、私は特定の政党や政治家を強く推しているわけではありません。
自分自身の思想信条に完全に合致する候補者は稀ですので、「自分に最も近い」と感じる方に投票するというスタンスです。
政治家という職業へのリスペクト

こうした前提の上で、私は基本的に政治家の方々に対してリスペクトを持っています。
高額な歳費やその財源が税金であることなどから、日夜バッシングを受けることも多い職業ですが、決して楽な仕事ではないことは想像に難くありません。
多くの政治家は、高い学歴を持ち、一流企業で高給を得るような安定したキャリアを築くこともできたはずです。
それでも、いつ落選するかわからない不安定な国会議員という道を選んだ背景には、やはり「この国を憂いて」という情熱があるのではないでしょうか。
長年政治の世界に身を置く中で、当初の情熱が薄れてしまった人もいるのかもしれません。
しかし、この国のためにプライベートな時間も犠牲にし、身を粉にして働くことを選択した方々への敬意は、思想信条の違い以前に持っていたいと考えています。
ただ、だからといって、一般国民としてただ任せきりにするわけにはいきません。
日本の主権者は私たち国民です。
敬意を払いつつも、「しっかりとお願いしますよ」という姿勢で監視していく必要があります。
だからこそ、政治家同士の議論で互いへの敬意が感じられないような場面を見ると、非常に残念な気持ちになります。
選挙結果と「敗戦の弁」への違和感

さて、今回の衆院選は、自民党の圧勝、左派政党の惨敗と言って良い結果となりました。
私たちは勝った与党をしっかりと監視していく必要があります。
一方で、議席を減らした左派政党の候補者の敗戦の弁を聞いていて、首をかしげたくなる場面が多々ありました。
- 「思いが伝わらなかった」
- 「説明が足りなかった」
多くの候補者がこのように述べていました。
これらの言葉は、裏を返せば次のような意味に近いのではないでしょうか。
- 「思いさえ伝われば、結果は変わった」
- 「説明をちゃんとできていれば、当選した」
果たしてそうでしょうか?
「正しさ」と民意のズレを見つめ直す
もし、思いが十分に伝わり、説明もし尽くされた状態であっても左派政党に投票しなかった人がいたとしたら、その有権者は「間違っている」のでしょうか?
そうなると、そもそも「正しさ」とは誰が決めるものなのでしょうか。
私が今回の結果を見て感じたのは、今の左派政党にもっとも足りないのは、「自分たちの政治信条の見直し」ではないかということです。
「自分たちが考えていることは正しく、それが伝わらなかったから負けた」のではなく、「そもそも自分たちの考えていることが、現在の民意とずれているのかもしれない」。
少なくとも、そうした発想を持つべきだと思います。
日本は法治国家であり、議会制民主主義の国です。
法律に則って行われた選挙で選ばれた議員が、国会において多数決で決めたこと。
これが、現時点での「正しさ」です。
これを「正しさ」と定義する以外の方法がありません。
だからこそ、「正しさ」は政権によっても、時代によっても変化します。
その変化に柔軟に対応し、社会としての合意形成を行う方法は、消去法的に「多数決」しかないのだと考えます。