
今朝のニュースで、下記を見つけた
大学生に親がそこまで…スマホで出席状況確認 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
鼻で笑いたくなる記事だったので、記事として投稿しておこう。
大学の存在意義
まず、日本の大学というものをどう捉えているか、ということだ。
大学は、教育という側面もあるが、メインではない。
では何をするところなのかというと、研究をするところ、つまり研究機関だ。
これは理系でも文系でも、その下に紐着くどんな学科も同じだ。
教育はという側面は、その研究員に必要な知識を与えるという目的。
なので、大学教授の目的も教育ではなく研究、その結果を論文として提出することが最も大切な仕事だ。
大学での出席率はどうでも良い
この記事に書いてあるニュアンスは、まるで高校までの学校と同じように、きちっと出席してテストを受けて、ということを大学でもちゃんとやるように、というふうに見えるが、正直大学にとって、学生の出席率なんてどうでも良い。
第一、教授にとっての講義は、自分の研究の間に行うものでしかなく、優先度という意味では高校までの先生にとってのそれとは異なる。
たまに大学でも出席率を気にする教授がいるが、あれは自分の講義に誰も来てくれなかったら寂しい、という浅はかな考えの基で行っている管理で、良い研究者を育てる、つまり良き研究を行うという事とは全く関係がない。
大学生と向き合う保護者
そもそも、保護者の考えも甚だ疑問だ。
大学にちゃんと出席して、優等生的に卒業させたら、その後の人生もうまくいくとでも思っているのだろうか。
日本の大学生だったら、、、
このブログでは何度か聞いたことがあるが、そういった人間は、指示さえ受ければなんでも真面目に器用にこなすが、ひとたび指示がなくなると、指示待ちしかできなくなる。
日本の大学は、入学に対しては非常に厳しいものの、卒業に関しては、他の先進国の大学に比べるとかなり甘い。
つまり、入学さえしてしまえばどうにかなってしまう。
このこと自体は非常に問題で、今後大学のあり方も多いに変革していってほしい。
しかし、このシステム自体を変えていくのには相当時間がかかるだろう。
だとすれば、せっかく暇な大学生なので、大学の頃にしかできない何かを、自分で考え、達成する、ということの方が、真面目に講義に出続けることよりも、経験としては遥かに上だ。
もちろん、大学に残り、研究員としての人生を考えているのならば、きちっと講義には出席するべきだろうが、そういう志がある人は、保護者が気にするレベルという時点で落第だろう。
大学を就職のためのステップと考えているならば、大学の授業で教わることの殆どは、どっちにしても現場で学びなおさなければならないので、真面目に出席しようがそうでなかろうが、大差は無い。
大学生にまで自主性を認めない日本の社会は、本当に疑問だ。