日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

近所の子供は叱るべきでしょうか

私の幼少期ぐらいまでは、近所の大人が他人の家の子を叱るといったことはありました。 今ではそういった風景はあまりみかけません。

懐古主義に偏っている人はそれを嘆かわしく思うでしょう。

近所の大人で協力しあって、子どもたちを育てていくというやり方には反対ではありません。 育児はノイローゼになるくらい肉体的にも精神的にも辛いので、協力者はむしろ多くいたほうが良いと思います。

一方、今は多様性の時代です。 その多様性は、育児方針にも表れます。

例えば男の子が転んだときに、泣いたとします。 親によっては「男だったら泣くな」というでしょう。 別の親は「痛い時は男女関係なく泣いて良いよ」と言うかもしれません。

これはどっちが正しいかではなく、違いです。 多様性を表しています。

子供は親の所有物ではなく、授かりものです。 親がしっかりとした育児方針をもって育てていくことは大切ですが、同時に、思いとおりにならないことを受け止める器量も要求されます。

だから、自分の子供が近所で遊んでいるときに、別の親から何かしらで叱られた内容が、自分の育児方針と違うことだってあるでしょう。 違うから、叱る行為自体が駄目だとは思いません。

ただ、要は叱り方です。 あたまこなしに恫喝されたら、子供は思考停止します。 それが親から日頃言われていることと食い違った場合、思考停止の後、混乱します。

混乱と考えることは違います。

ある程度(小学生くらい)の年齢になれば、物事を考える力があります。 親の言っていることと近所の大人が言ってたことが違う、ということを考えて、「なぜ」と考えることは大切だと思います。 これは、対近所の大人だけではなく、社会に出ていけばいろんな考え方や主義主張があるので、どのみち避けられません。

ただ、くりかえしますが叱り方によっては、叱られたくない、怖かったという感情だけが残ります。 それは大人の価値観を恐怖で押し付けているに過ぎず、決して教育とはいえません。 そういう叱り方しかできない大人が周りに多くいたら、そういう場所には親として行かせたくなくなりますし、それは家に引きこもるきっかけになります。 健全とは言い難いですね。

大人は子供より経験値が高いので、自分の子であろうが他人の子であろうが言って聞かせる、叱るという行為はあってよいでしょう。 ただその大人が現代の多様性を理解しておらず不勉強だった場合は、子供を叱る権利はないのではないでしょうか。

それは例え自分の子供であっても、です。