昨夜は、うちよりも少し年上の娘さんをもつ友人と話しました。 内容は、娘が勉強しないのが悩み、みたいなやつです。
その子は、絵を書くのが好きなんだそうです。 しかし、友人に言わせると、その絵にはオリジナリティーはない、と言います。
以前も書きましたが、オリジナリティーってそんなに簡単に使えるほどわかりやすいものではありません。 特に芸術分野においてオリジナリティーは至上みたいな印象が強いのですが、具体的に何を指しているのかわからないでしょう?
例えば音楽におけるオリジナリティーって、既出の作品とかけ離れている場合によく使われます。 しかし(一部のジャンルを除いて)音楽は12音階の組み合わせで作られます。 12音階を使う、という部分においては、オリジナルではありません。
では曲自体を自分で作る、というのがオリジナリティーのとりあえずの線引にしたとします。 で、オリジナリティーこそが芸術のものさしだ、となると、ジェフベックというギタリストはどうなるのでしょうか。
ジェフベックは世界3大ギタリストに数えられるくらいの大御所で、その評価は疑うところはありません。 そして、彼の作品の多くは、カバーです。 オリジナルもありますが、カバー作品の方が数も一般的評価も高い。
もしオリジナル楽曲が芸術のものさしだとしたら、ジェフベックが評価されているのはおかしいとなりますよね。 そしたら、多分「カバーの仕方がオリジナリティーに溢れている」みたいなことを言い出す人がいます。
もうそれを言い始めたら、評価されているものの要因にオリジナリティーというワードを乗っけたいだけとしか思えません。 シンプルに、オリジナリティーがあるかどうかは知らんけど、良いね、で十分じゃないですか。
要するに、オリジナリティーなんて言葉はかっこよくても、中身は主観的なものに過ぎない、ということです。 だから、自分の娘の書く絵にオリジナリティーがあるかどうか、なんて考えなくて良いと思います。
また、友人は加えて「昔絵のことを少し褒めたことがある。だから今でも絵を書いている。つまり娘が絵を書く動機は褒められたい、というだけなんだ」と言います。
そうだとして、なにか問題があるのでしょうか。 褒められたい、という感情は承認欲求とも言いかえることができると思いますが。承認欲求がゼロの人なんてまずいません。 特に漫画家や大衆音楽をやっている人にとっては、日々の制作モチベーションの要と言ってもよいくらいです。
また音楽の話で申し訳ないのですが、ギターを始めるのはだいたい高校生くらいのときが多い。 その時の動機なんて、男子の場合ほぼほぼ「モテたい」です。 そんな中からプロになってまで演る人がでてくるわけです。 プロになった人は動機までも美しい、なんていうのは幻想で(そういう人も中にはいるでしょうけど)、誰もが持っている承認欲求の延長です。
だから、親に、友人に、他人に、多くの人に褒められたいから絵を書く、という動機はなんらおかしくないし、むしろ王道だと思います。
そもそも、親というのは子供の芸術的な才能を見抜く力があるのでしょうか。 スポーツや勉強は、記録や数字で結果が出るので判断がしやすい。 しかし芸術分野というのは、わかりやすいものさしはありません。 ピカソの絵をみて、才能がある、と気づける親はどのくらいいるのでしょうか?
だとしたら、オリジナリティーがあるかどうかや、動機がほめられたいからだ、みたいな理由で娘の絵を書く行為に否定的な気持ちを持つのはいかがなものかと思います。
もちろん、うまくいかないかもしれません、 むしろ、うまくいかない人の方が統計上は多い。 でも、人生を確立で選択させる親になりたいでしょうか?
子供のやりたいことと、それが社会の需要と考えて経済的に成り立つのかどうか。 そのバランスこそ難しいのですが、あくまでそれはバランスであって、やりたいことはなんでもやらせれば良いわけでもないし、安定する人生を選ぶことだけが幸せになる唯一の方法だ、と伝えるのも極端です。
子供とは、ちゃんと向き合って話し合って、楽しんで生きていってもらいたいものです。