(その1は下部にリンクあり)
コミュニティー内で「神」と呼ばれている人の正体
アプローチして、メールのやり取りをしているうちに、何かしら不思議な感じを持った。
それもそのはず、実はその人は、その子の兄だった。
その時点でも同じ屋根の下に暮らす、正真正銘の兄弟だ。
兄の方も、アプローチしてきたのは妹だとは思っておらず、まさに青天の霹靂だった。
お互いに匿名だったので、気付かなかった。
そして、ここに最強の兄弟コンビができる。
ストーリーを妹が、文章を兄が担当という、理想的な分業ができた。
実の兄妹なので、様々なことはスムーズにいくことは言うまでもない。
そして現在
今は、この時点だ。
この兄妹は非常に大きな期待が持てる。
自分としては、あまり手伝えることはない。
ただただ見守るしかないし、1人でも多くの人に、その作品を披露できるようになれば良いと、心から思うばかりだ。
この兄妹をみて思うこと
小学生の頃から漫画を描き、40巻以上にも渡るストーリーを作り上げた時は、恐らくだが、勉強は少し疎かになっていただろう。
しかし、小学校の頃に本当に学ぶべきなのは、基礎学力ではない。
学ぶことの「楽しさ」を体感させることだ。
そして、楽しいと思う対象は、人によって全然違う。
それが、たまたま学校の勉強だったらよかったのかもしれない。
高学歴主義は衰退しつつあるといえども、やはり小学生や中学生の成績は、ある特定の分野でのものさしにしか過ぎない、と割りきって考えられる大人は少ないから。
しかし、この子の場合は違ったのだ。
漫画を描きつづけたその子は、学校の勉強よりも漫画を描くことのほうが楽しかっただけのこと。
しかし、それで良いと思う。
なぜか。
それは、その方が学ぶことの楽しさを体感できるから。
(漫画を描きつづけることの方が、勉強よりも楽だから、楽してるだけ、という考えは論外)
しかし、それだけではない。
日本のような高度に発達した社会を形成している国では、様々な価値観が生まれる。
多種多様な価値観を持った人間が、同じ社会に秩序を保ちながら生きていくためには、各々に社会貢献的な行為を求められるだろう。
サラリーマンは、企業に勤め、労働をすることにより、賃金をもらう。
労働は企業の為?いや、社会貢献だ。社会の役に立たない企業に存在価値はない。
(そもそも経済活動自体が、社会貢献だ)
つまり、学校の勉強ですら、最終的に社会貢献に役立つことの基礎となり易いものを教えているにすぎない。
しかし、人には得手不得手がある。
学校の勉強が苦手なのに、それを無理やり教え、大人になってその知識を少しも使わず仕事をするくらいなら、好きな事に没頭し、それを職業として生活していく方が、本人にとっても、社会にとっても大きくプラスだ。
イマドキの若者
時代は流れる。
これまでに社会貢献に役立ちやすかった知識やスキルが、まったく役に立たなくなることなんて、歴史上何度もある。
だとすれば、過去の統計から未来を予測し、自分の生きるべき道を決めることよりも、結局未来はわからないと割りきってしまって、好きなことに没頭することのほうが、最終的には、本人の為にも、社会の為になるのではないだろうか。
こういった兄妹を「イマドキの若者」と一括りにして否定することは、そこから生まれる大きなの可能性を削っていく、つまり社会貢献にまったく逆行していることにいち早く気付いて頂きたい。