日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

本格的に中途半端

「私の知り合いは、本格的に音楽やっている人だから、ちゃんと見定めた人とじゃないと一緒にやらないの」

音楽って、本当に広いですよね。 多様性という言葉がまるで流行りのように使われている現代ですが、音楽は、成り立ちそのものが多様性に満ちています。

なんと言っても、形がない。 影響はあるけど、強要することもできないし、されることもほぼない。

衣食住ほどの必需ではないけれど、太古の昔から存在しているのも事実。

いろいろと魅惑的です。

音楽の中身に関しても、クラシックからジャズ、ポップスからロック、フュージョンからミクスチャー、演歌やブルース、とそのジャンルは数えたらきりがありません。 また、その有り様も芸術的側面、商業的側面など様々です。

こういうことを踏まえて、本格的に音楽をやっている、という言葉がいかに表層的かわかりますか?

上記したように、様々な側面で多様にも多様で、すべての人がそれを個人的に勝手に決めて良いわけです。 つまり、本格的な音楽、というのは、自覚として、というカッコつきの説明がどうしても必要になります。

本格的、という言葉には、おそらくほとんどの人が質の高さや、真面目さや、前向きな覚悟、といった印象を受けると思います。 ある人が、自分のやっている音楽が本格的だ、と言うのは勝手です。 しかし、本格的にやっている人としか一緒にやらない、というのがわかりません。 多分、それが本格的かどうかを判断するのは他人になりますが、少なくとも音楽においては、繰り返しますが、本格的かどうかを決められるのは本人だけです。

やりたい音楽性にこだわりがあるから、見定めたい、というのならばわかります。 こだわり、という言葉が主観的なもの、という前提は通念的なものだからです。

私は、音楽に対してが真面目に取り組んでいると自分では思っています。 しかし、自分よりももっともっと真面目に取り組んでいる人もいます。 自分よりもテキトーにやっているけれど、自分よりもたくさんの人を楽しませている人もいます。 自分よりも下手だけど、自分よりも多くの仕事をもらって稼いでいる人もいます。

いろんな人がいる中で、自分が本格的と堂々と言えるのって、なかなかにリスキーです。 あんまり言わないほうが良いと思いますが、どうなんでしょうね。