苦手は仕方ない。人には得手不得手があるものだ。
しかし、嫌いは要注意だ。
インターネットの普及によって、さまざまな分野に革命が起きた。
充分高機能と思われていた日本の携帯電話は、いまやスマホと比較してガラケーと呼ばれるようになった。情報はほとんど無料でネットから引っ張ってこれるので、新聞、雑誌のあり方も激変。広告もネットの効果を無視できずに、むしろそこを最大限に利用しているGoogleは、いまや世界トップクラスの企業だ。
歴史上テクノロジーが後退した時代なんてない。世界大戦などで、物質的にあらゆるものが消滅し、その進化が停滞に変わったことはあっても、意図的に後退した例は、世界のどこをみてもないだろう。
冒頭に書いた、テクノロジー嫌い。嫌いなのは良いが、それとは関係なく、間違いなく今後もテクノロジーは進化する。
2chで殺人予告をしたあげく、犯罪が起きた時、インターネットの普及が原因と訴えた人がいたが、それを言ったところで、ネットのあり方や法整備は変わっても、ネット自体がなくなることはおそらくない。
もしあるとしたら、それと同じ価値を供給できる、さらにテクノロジー的に進化したものが生まれた時だ(新聞や雑誌がネットに変わったように)。
最近は、こういうことを思うことが多い。
このブロクではよく書くが、交通事故で年間4000人以上が亡くなっても、車社会はなくならない。事故が減るように車を改良し(自動運転車はその一例)、運転手の運転を改善させる手立てを考えたり(飲酒運転の厳罰化など)することはあっても、車自体をなくそうとはいまのところしてないだろう。
スマホがここまで普及すると、いわゆるガラケーの方が使いやすいとか、スマホの功罪なんかが結構聞かれるが、そんなことをいくらいったところで、スマホはなくならない。
なぜなら、世の中は、概ね便利な方にしか進まないからだ。
概ね便利というと、つまり、あるテクノロジー進化に関して、良い所が60%あれば、悪い所が40%くらいあっても、それは進化していくということ。逆に言えば、40%の悪いところは残る。
テクノロジーの進化に関して、人が対策できるのは、この40%をいかに0に近づけていくか、だけで、実際に0には成り得ない。かといって、このテクノロジーがなくなったりはしない。
概ね良いと思うものは、積極的に取り込み、その悪しき部分をなくしてくのが、これからの全体としての進化のあり方だと思う。