情報過多の時代と呼ばれて久しい。
百科事典で有名なブリタニカは、百科事典の出版をやめたらしい。
インターネットを使えば、その数倍の情報がほとんど無料で手に入るこの時代に、高い金額を払い、大きく場所をとる百科事典は淘汰されていったのだろう。
良い、悪いではなく、致し方ない。
インターネットによる「知」が増えるとともに言われるのは、その情報の真偽だ。
インターネットの性質から生まれる副作用
インターネットは、まさしく言葉通り、いつでもどこでも誰でもアクセスできるものになった。
また、インターネットが、それまでの多種多様なサービスと一線を画している点は、その情報が双方向だということだろう。
メディアも、本も、これまで知識を得る元となっていたものは、アウトプット側はアウトプットのみ、インプット側はインプットのみだったのに対し、現代ではそれがまるで人と人との会話のコミュニケーションのような手軽さで切り替えられる。
ニュースをシェアしコメントを書き、それに対する反応をみる、なんていうことは、インターネット以前には絶対にできなかった。
しかし、これらの特徴は、同時に、正しい情報と誤った情報が混在することになるということも意味する。
特質上避けられないだろう。
そして、こういう時代だからこそ
「自分の目で見ないと信用しない」
ということを自慢気に言う人が結構いる。
自分の目で見て得る情報量は、どのくらい?
自分の目で見て得る情報量は、どのくらいあるのだろうか。
これは、残念ながら、相対的にかなり少ない。
人間1人で確認できることなんて、新興国ならいざしらず、日本のような高度に成熟した社会を形成するなかでは、ごくわずかだ。
日々流れてくるニュースの内、実際に自分の目で確認できることなんて、ほとんどない。
- ある法案が可決されたニュース
- どこかで交通事故があり、2人が重軽傷を負ったというニュース
- スポーツでどこのチームが勝ったというニュース
- 新しいインターネットサービスが始まったというニュース
これらのニュースは、毎日数えきれないくらいある。
そのうち自分の目で見ることができる情報なんて、99%ない。
実は、目で見ていない情報ですら、人に届いている情報は総量のわずかなのだ。
極端に言えば、自分の目で見ないと信用しないということは、地球がまるいということすら疑っているということなのだろうか。
情報力を身につけるためには
冒頭にも書いた通り、とにかく情報過多の時代だ。
これだけの情報があるなかで、確かな情報をつかむためには、情報の真偽を見抜く情報力が必要になるだろう。
では情報力はどうやればつくか。
これは、もとに戻るが、できるだけたくさんの情報を仕入れることだろう。
数は力だ。
あることを調べるときに、1冊の本だけを読み、理解した気になるのは危険だ。しかし、5冊読めばより真実に近くなる(完璧に真実ではない)。
さらに本だけでなく、インターネット、人からの情報も合わせれば、より真実に近くなるはずだ。
情報過多のこの時代、いわゆる情報力をつけるためには、
情報量と情報源のバリエーションは欠かせないだろう。