日本には、職人と呼ばれる人たちがいる。
自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のこと
wikpediaより引用
こういった人たちが日本のものづくりを支えてきたことは言うまでもない。
手作りの良さや素晴らしさは、今からどれだけテクノロジーがすすんでも、変わらず、いやむしろより重宝されるものになるかもしれない。
しかし、この職人に関して、少し思うところがある。
職人は特別な存在ではない
職人に必要なことはなんだろうか。
それは、上の引用にもあるように、熟練した技術だ。
それを身につけるために、長い時間をかけて練習をする。
こういった世界では、この練習のことを「修行」や「下積み」と呼ぶらしいが、要するに練習だ。
つまり、職人は、特別な存在ではない。
どんな職種でも、長い時間をかけて練習する。
営業マンだって、そのスキルを何年もかけて極めていく。
料理人も、その腕を何年もかけて磨いていくのだ。
職人に対するイメージ
自分の周りには、これぞ職人、といった人は残念ながらいないので、印象でしかないのだが、職人の方々に、テクノロジーを率先して利用している人は少ないように感じる。
ここで言うテクノロジーは、ITに代表される先端技術のことだ。
例えば、職人さんの中で、自分のオフィシャルサイトをもっている人はどのくらいの割合でいるのだろうか。
自分の作ったモノを、ネットで紹介、販売している人はどのくらいいるのだろうか。
職人に求められるもの
少し前に話題になったこの記事。
この記事をどう捉えるかによると思うが、この記事に対して、
「寿司職人には修行が必要にきまっている!」
という考えで否定している人は、いかがなものかと思う。
寿司職人に求められるのは、修行ではなく技術だ。
順序が逆転している気がしてならない。
修行をしたから技術が身につくのではない。
技術を身につけるために修行が必要になるのだ。
ただ、統計上修行なしでその技術をみにつけた人があまりいないのも事実かもしれない。
しかし、統計は過去のデータの蓄積だ。
今のように情報が簡単に手に入らない時代に生きた人が、その技術を習得するためには、修行が唯一の方法だったのかもしれない。
しかし、時代は変わった。
寿司職人になる為の「過程」だって変わっていって当然だ。
何度も書くが、寿司職人に求められるのは、最終的に美味しい寿司を握ることのできる技術であって、その過程(修行)ではない。
職人のつくりだした文化、伝統を残す為に
冒頭にも書いたが、色々なものが便利になっていくこの時代だからこそ、職人が作り出すモノへの評価は、変わらないどころか、むしろ上がると思うし、上がってほしい。
だからこそ、その素晴らしい文化を残していくための「過程」なんかにこだわってほしくない。
その過程は、伝統でも文化でもない、単なる過程だ。
個人としては意味があっても、文化としては意味が無い。
だとすれば、過程自体を固定化することになんか、全く意味がない。
ITを使っても、誰かの弟子になっても、各々が好きな過程を選ぶ自由は、あってしかるべきだ。