家族とはなんだろうか。
こんな大きなことを考える機会が最近あったので、改めて考えざるを得ない。
自分にとっての家族、それは友達とも恋人とも違う、深い絆で結ばれているもの、かけがえなの無いものだ。
友達や恋人は、長い間コミュニケーションをとらなかったら疎遠になることが多いだろう。そもそも友達や恋人はコミュニケーションを通じて、その仲を深めていったはずだから、コミュニケーションありきの存在だ。
これに対し、家族とは、コミュニケーションの有無に左右されない。
昔ながらの言い方をすれば「血がつながっている」のだ。
これから導かれる家族のあり方、それは
「家族はコミュニケーション(絆)を強要できない」ということだ。
コミュニケーションをとらなくても、結局は家族。
だとしたら、例えば遠く離れて生活し、随分と長い間音沙汰が無くても、知らせがないのは良い知らせ、といった捉え方をできるので、「家族なんだから、一緒に住むべき」なんていう強要はいかがなものか、という結論に達する。
家族は支えあって生きていくべき。
そのとおりだと思う。しかし、その支えのほとんどは、心の支えで、心の支えは、地理的な近さや、コミュニケーションの時間に依らない。
という考えで生きていくと、勘違いされたのだ。
どうも自分の親から避けられている気がしてならない。
それはおそらく、自分が既に結婚もし、子供もいて、べつの家庭を築いているから、むやみに連絡をとるべきでない、と思っているからのようだ。
別に、コミュニケーションをとりたくないわけではない。
とるべきだ、という考えは強要すべきでない、ということだ。
しかし、自分のような考え方は、得てして冷たい、ドライな印象をあたえるらしく、その結果が招いたことも事実。これは反省に値するだろう。
自分の行動が、いくら筋を通したものだとしても、望まずして誰かを傷つけることはある。そのときはきちんと反省するべきだ。