日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

不況を脱するために考えなければならない友達関係

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不況のおかげで、安かろう良かろうといった価値観を持っている人間は増えすぎた感が否めない。
 
「自分の友だちが飲食店やっていて、そこだったら無料で色々出してくれるよ」
 
こういったことをたまに聞くが、どういうつもりなのか。
おそらく、だが
「自分には、こういうお得な知り合いがいる」
ということを自慢したいということなのだろう。
しかし、実はまったく自慢になっていない。
第一、それを自慢するのは飲食店の従業員やオーナーであって、その知り合いが自慢することではないだろう。
できたとしても、美味しい店を知っている、というレベルまでだろう。
 
2つの点で批判したい。
 

 

誰がそれを設定するのか

 
1つは、サービス価格や無料サービスは、店側が設定することであって、サービスを受けるほうが要求する質のものではない。
日本は「値切り」の文化があまりないのに対し、海外には「値切り」が文化として定着しているところもたくさんある。
しかし、値切りは「ネゴシエイト(交渉)」であって、依頼とはちょっと違う。
 
これに対し、日本のサービス価格は、立場上断りにくさがある。
そこまで想像できれば、友達ならばなおさらこういったことはすべきではない。
 
美味しい料理を提供してもらい。サービスを受けたならば、それ相応の金額を支払うことが当たり前だ。
 
何度も言うが、もしサービスをしてくれたらもちろん喜んでも受けても良いが、それはあくまで提供側発信である。
 

バーターでもないサービスは、単なる損失

 
2つ目は、ビジネス側面。
サービス価格や無料サービスは、確かに存在している。
それは友達同士というだけでなく、いわゆる業界内にも多々あることだ。
これにはちゃんと理由がある。
それは、お金以外のサービスやモノと別の機会に交換してくれることを、双方の暗黙の了解で期待しているのだ。
いわゆる「バーター」
 
または、毎日毎日来てくれる常連さんにサービスで何かを提供するのは、大手飲食店のポイント制を、もうすこしゆるい感じで実施しているだけのことだ。
 
たまにしか来ない、そしてサービスしても何の見返りもない友達に、サービス価格を設定することは、ほとんど意味が無い。
、、ということをサービスを受ける側も認識しておかなければならない。
 

音楽は、さらに酷い

 
自分の仕事は音楽だが、音楽は形がないから、飲食店に比べてこの被害はさらに多い。
飲食店は、想像のつきやすい食材を仕入れて客に提供しているので、無料にしたらその分の損失が発生するのは想像に難くない。
これに対し、音楽には仕入がない。
だから、無料でライブに招待しても、損失がないと思われがちだ。
 
しかし、当然だがそんなことはない。
どんな楽器(ボーカル含)も、持っている機材のメンテナンス代がかかるし、練習の時につかったリハーサルスタジオ代、当日のライブ会場までの交通費など、飲食店の仕入に相当する経費はいくらでもかかっている。
これらを完全に無視して、「タダで見せてよ」というのは、どれだけ無形文化を見下しているのかと、情けなくなる。
 
不況を脱するのは非常に難しいが、予算を決める権限もない自分たち庶民ができることは、選挙に行って全うな政治家を選ぶことを除けば、サービスやものに対してそれ相応の対価を「節約せずに」支払うこと、ではないだろうか。