今日は、これを投稿すべきだ。
5年前の今日起きた震災。
人が自然の前にどれだけ無力かを思い知った日。
昨日と同じ今日が明日も続く、ということが幻想でしかないことを知った日だ。
自分は被災者ではない。
だから、軽々しく「被災者の気持ちを思いやって」という言葉は使わない。使えない。
被災者のことを可哀想と思ったり、哀れんだりだとかすることには、どれだけの意味があるのか。
自分たちのような直接の被災者ではない者達が、今できることは何だろう。
ボランティアに行く。
義援金を送る。
式典を開き、忘れないように心に刻む。
チャリティーイベントを行う。
どれも大切な行為だ。
だとすれば、そういった行為の根本原理は、「自分が生きている」ことの再認識であるべきだ。
残された自分たちにできることは、生きること。
生きることの素晴らしさをしっかりと考えること。
あの日から今日まで生きてこれたことに心から感謝すること。
これからもしっかりと生きていくこと。
生きていくことをしっかりと認識できれば、そのカタチがどういったカタチでも良い。
普段通り仕事をする。
友達と楽しく騒いで飲む。
曲を作る。
ボーっとする。
ブログを書く。
なんだって良いのだ。
今自分達がしていることは、生きているからこそできるのだから。
震災で犠牲になった方に、心よりご冥福をお祈りいたします。