日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

女性の痩せたい願望は、程よく

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女性は特に、ダイエット未経験者はあまりいないのではないだろうか。
自分の周りだけの印象でしか無いからなんとも言えないが、女性は、兎にも角にも痩せたいと言っている気がする。

 

かなり痩せている人が、痩せたいと言っているのに対し、太ってないよ、と伝えると、決まって返ってくる答えが「見えていないだけで、脱いだらすごい」ということだ。
なにがすごいのかわからない(まあ、わかるけれども・・)。
 
これをどう受け止めるのか、だが、大きく分けて2つ可能性があるだろう。
謙遜・本当に痩せたい、だ。
その両方というのもあるかもしれないが、割愛。
 

過剰な謙遜は、時に相手を不快にさせる

 
まず謙遜。
これは、男女問わず、そして体型に関わらずよく見られるものだ。
謙遜は、もともとはへりくだって相手を敬う為にあるはずだが、過剰な謙遜は相手を不快にさせることもあるのではないだろうか。
 
経験論で申し訳ないが、自分の以前の知り合いに、かなり高価な車に乗り、見るからに高そうな服、アクセサリを身に着けている人と話しているなかで、「お金があんまりなくて・・」という言葉が出てきて、すごく不快になったことがある。
他にも、テスト前に勉強してないと言っておきながら高得点を取る人は、大体みんなから嫌われている(別に悪いことではないが)。
 
といって、「わたし痩せてます!」というのも、日本の国民性にはなじまない気がする。
 
つまり、そういった話は自分からしなければ良いのではないだろうか。
上記の例でも、高価なモノを所有しているだけ、テストの点数が高いだけでは、そんなに不快感は与えないと思う。
 

モデルがモデル?

 
そして、本当に痩せたい、という場合。
世の女性は、どのくらい痩せたら自分の体型に満足するのか。
その基準が、例えば芸能人やモデルだった場合は、とんでもない話だ。
体型が整っている芸能人やモデルは、それが大きな仕事だ。
その体型を維持するために、様々なことを犠牲にしている。
実は、犠牲にしているものの中には「健康」が含まれていることさえある。
つまり、価値観が「美>健康」になっているのだ。
 
インタビューやトーク番組では、食生活や日頃の生活スタイルについて質問すると、食べたいものを食べるだけだし、特に何かを気にもしてません、的なコメントもよく耳にするが、芸能人やモデルにとって、体型維持の方法は、業務上の秘密のようなものなので、やすやすと言うわけがない。
 

痩せたら美しい?

 
そもそも、だ。
女性が痩せたいというのは美意識からくるのだろうが、本当に痩せたら美しいと思われるのだろうか。
これも自分の周りの人間に限ったアンケートだが、その印象からすると、女性が思っているほど、男性は女性に、痩せた体型を求めているわけではない。
確かに、男性がアンケートで答える好きな有名人は、一般の女性に比べてスタイルがかなり良い人の場合が殆どだ。
しかし、その答えにどこまでのリアリティーが含まれるのか。
好きな有名人と、実際の恋人の体型が全然違う(なんなら正反対)、といった話は山のようにある。
これは別に妥協しているわけではなく、好きな有名人を選ぶ基準と実際の恋人を選ぶ基準は違う、ということなのだ(多分)。
 

目指せ「健康美」

 
健康であることは大切で、健康を害するほどの肥満はよくないと思う。
逆もそうで、健康を考慮せずに、ただ痩せた体型を目指すというのは、本末転倒だし、それを美しいとは思わない。
あくまで、個人的な意見だが。