寝ることに大した価値は置いていない。寧ろ寝ないで済むのなら寝たくないくらいだ。
当然、健康維持のために睡眠は必須なので、睡眠をとらないわけにはいかないのだが、健康維持の目的以上の時間睡眠をとることの「意義」はないと思っている。
そんな中、先日「寝るのが大好きで、休みの日は20時間くらい寝る」という人に出会った。
睡眠は確かに気持ち良い。しかし、だ
20時間といえば、1日が残り4時間しかない。
そのくらい寝るのが好きということなのだろう。
どんなことですら、人に迷惑をかけない限りでは、好き嫌いは自由なので別に批判する必要もないのだが、そう思っても20時間の睡眠時間というのは、タダ事ではない。
上述したように、健康維持のために睡眠は必須なので、人間の体は睡眠を欲するようにできているし、そこに気持ちよさがあるのは当たり前だ。
疲れて帰宅し、一日の全てを終えて布団に入った時は、リラックスの極みであることは確かだと思う。
しかし、それを敢えて「好き」ということは、どういうことなのか。
自分の周りにはこれまでにあまりいなかったが、こういった人は意外といるものだろうか。
寝るのが好きというのは、睡眠導入部と起床時のみのはず
ダメだとは言えないが、もったいない気がしてならない。
寝るという行為が気持ち良いというのは、横になって睡眠に入るまでのわずかな時間だけで、眠り込んでしまうと気持ち良いも何もない。
あと考えられるのは、起きた時の爽快感だろう。
ところが、起きた時の爽快感とは、「起きた時」なので、寝るのが好きというのは少し違う気がする。
起きた時に爽快感を感じるのは、恐らく健康状態が良いからだと思うが、その爽快感を得るのに20時間睡眠をとらなくてはいけない、逆に言えば、15時間でその爽快感が得られないというのであれば、何かしら体がおかしいのではないのか、と思ってしまう。
早起きが苦手と、寝るのが好き、は意味が違う
早起きが苦手という人はよくいる。
これは寝るのが好きということとは全然違う。
苦手だという表現を使うということは、深読み(?)すれば、本当は早起きしたいけど出来ない、という意味ではないだろうか。
ちなみに、自分は起きるのにあまり困ったことはなく、目覚ましもほとんどいらない。
これは個人差のある体質の問題だと思うので、なかなか朝起きれずに、どうしても睡眠時間が長くなってしまう、という人はいるだろう。
問題(?)は、それを寝てしまった、と受け取るのか、良く寝られたと受け取るのかの差が大きく、もちろん後者を疑問視しているのだ。
健康維持以上の睡眠から得られるものは何もない、というのが持論。
たまに、睡眠中に見る夢から何かを学ぶ人もいるかもしれないが、それにしたって起きている時間にリアルに体験すること、体感することと比較すれば、その差は歴然ではないだろうか。
終わりが必ずやってくる人生なので、すこしでも有意義に過ごしたいもの。
健康維持以上の睡眠時間が有意義とは、自分にはどうしても思えない。