Yahoo!ニュースが20周年を迎えたそうで、「時代を伝える」という特設サイトを立ち上げている。
20年前というと、自分がまだ未成年で、いわゆる普通のニュースには全く興味がなく、だから当然政治にも全く興味がなかった頃だ。
インターネットは徐々に普及し始めていたが、テレビを始めとしたメディアとは比較するのも恥ずかしくなるくらいマイナーなメディアで、自分の周りにおいては、パソコンオタクが数名使っていた程度だった。
あれから20年の月日が流れた現在、この状況を予想できた人はどのくらいいるのだろう。
おそらくいない。
この動画で堀江氏もそのことに触れている。
そのくらい激動の20年だったと言えるだろう。
その一番の要因となったのは、まちがいなくインターネットの普及。
世界の歴史をみても、産業革命、いやそれ以上の変化がおこっていると分析している専門家も少なくない。
もう少し前に生まれていたらよかったと思っていた学生時代
自分の仕事は音楽だ。
20年前くらいは、上述したように世の中のことなんか全く興味がなく、故に無知で、ただひたすら音楽に没頭していた。
そんな自分が当時思い抱いていたことがある。
「時代を少し外したな」
もちろん、音楽のことしか考えていなかったので、音楽に関しての心情だ。
その名の通り、歴史に名を刻んだミュージシャンは、自分が音楽を演る少し前の世代に全盛期を迎え、その後この世を去っていった人が多かった。
確かに、自分の世代に全盛期を迎えたと言ってよいミュージシャンもいる。
エリック・クラプトンはそうだろうし、もう亡くなったが、マイケル・ジャクソンもそうだ。
しかし、前者のほうがより自分に影響を及ぼしたことは事実。
もしかして、少し前だからこそよりそう思うのかもしれないし、自分の偏った音楽の趣味にも原因はあるので、一般性はない主張だと思う。
ただ個人的な意見にすぎない。
この時代に生まれて
時を経て、現在。
音楽に対しての心情は変わらず「外した」というものも残り続けているが、音楽という枠を取り払って世界を見た時、自分はこの時代に生まれてラッキーだったと心から思う。
言うまでもない、時代がこれほど動くときに生まれたからだ。
自分が大学に入学した時は、同じサークルに入部してきた20人中、PHSを所持している人が3人だった。
翌年、16人入部してきた中で、「携帯」を「持っていない」人が3人だった。
それに続き、インターネットだ。
リンク先のサイトにもある通り、爆発的なヒットを飛ばしたWindows98の発売は、もちろん1998年。家電量販店の店頭に、信じがたい行列が出来、山積みになっているパッケージが次々と売れていく様子はいまでも鮮明に覚えている。
まさかその数年後に、家電量販店が、インターネットの普及によってうまれたAmazonをはじめとしたインターネット通販により危機に陥るとは思ってもいなかっただろう。
ブロードバンドサービスの低価格化に端を発し、驚異的なスピードでインターネットが日本に普及していった時代に自分は生きてきた。
申し込みがあまりにも殺到し、ブロードバンド(ADSL)の申し込みをしても開通せず、かといって申し込みキャンセルもできない、という混乱状態の時期が3ヶ月くらい続き(それ以上だったかもしれない)、全国からクレームの嵐(今で言う炎上だろうか)が吹き荒れたときの被害者に自分も入っている。
待たされた分、開通した時の喜びはひとしおで、何時間使っても料金がかわらないことと、なんといってもその回線スピードに驚嘆した。
インターネットがブロードバンド化することによって生まれたサービスは多くあるが、その中でもダントツで驚いたのがYoutube。
どんな動画でも検索で閲覧できるという喜びと、今までのテレビやビデオを媒体とした動画は、この先どういう道をだどるのだろう、というほんの少しの不安を覚えた。
これももちろん肌でひしひしと感じることができた年代に自分は生きている。
スマホが充分すぎるくらいに普及してしまった現代に、手の中に未来という表現はいささか大げさと思われるかもしれないが、それまでそういったデバイスを見たことも聞いたこともなかった自分たちからすると、その表現ですら陳腐に聞こえるくらいの衝撃だった。
インターネットは国境をやすやすと超える。
いまは、あの頃の地位復活を目指して躍起になっているところだろう。
素晴らしい時代に生きていることを感じつつ、ニュースを振り返って思うことは、このニュースに出てきている事件、事故、その他未解決なものは、いまだに先行きがみえないものも少なくないということ。
自分のようなアーリーアダプターには、刺激を与えて続けてくれるだろう。
しかし、それに相反して、ちっとも解決に近づかないことが残っていることも事実だ。
悲しい事件は後を絶たないし、戦争も終わらない。
歴史を振り返って学ぶ環境は、もう充分に整ったと言って良い。
今こそ歴史から多くを学び、本当に未来に活かしていくべき時代になったのではないだろうか。
上述したように、未来を予測するのは限りなく不可能に近い。
それでも時間は流れる。
身を任せるだけでは、何も解決しないのはわかっている。
そんな複雑な世の中に身を置いていることも、自分にとっては「ラッキー」
そう思う。