日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

感動や喜びのおしつけ

 
フラッシュモブが嫌なのを知っていたはずなのに、新郎(またはその家族)に強行されて離婚に至る、という記事だ。
ちょっとした話題になっている。
 
フラッシュモブにかぎらず、こういった祝場面でのサプライズはよく話に聞くし、それを扱った記事のほとんどは、その感動を伝えるというスタンスが多い。
 

サプライズ嫌いは存在しない??

 
自分の好みを言えば、自分が人に対して行うサプライズは嫌いではないが、自分がされるのは嫌いだ。
もちろん、人に対して行う場合も人による。
この記事の様に、明らかに嫌いということを知っている人に対してはしない。
気のおけない中で、サプライズが好きそう、と思う人に対してだけだ。
 
上記したように、サプライズは人を感動させる、といったスタンスの記事が多いからなのかは分からないが、何かとサプライズをしたがる人は、喜んでくれると疑わない人も多い。
 
とんでもない話だ。
 
上述したように、少なくとも自分は、されることに関してはあまり好きではない。
単純に恥ずかしいのだ。
 
しかし、サプライズ好きは、こういった心情を説明すると、それは嬉しさや喜びの裏返しでしょう?と返してくる。
なんなら、自分では気づいていないだけで、喜んでいる、といった類のことをいう人もいた。
 
冗談も休み休みにして欲しい。
そんなこと言い始めたら、どんなことだって人に強要出来るようになってしまう。
こういった言い回しは、健康食品系の営業担当者が、無知な庶民を喰い物にするときに多用する。
「自分では気づかないかも知れませんが、カラダは喜んでますよー」
 
別にサプライズの存在を否定しているわけではない。
それをするのが好きな人がいて、されたことに感動する人がいて、というのは充分に理解できる。
かといって、感動しない人は、感動している自意識に気づいていないだけ、というのは無茶苦茶だ。
 

新婦の離婚決意は良い判断

 
このニュース、新婦が離婚を決意したことは良い判断だったのではないだろうか。
 
嫌と伝えているにも関わらず強行してくるという行為から推測するに、そこには悪気がなく、相手のためという側面が大きいと思われる。
新婦の「嫌」だという気持ちが新郎にはわかってもらえないし、新郎が「良い」と思うことは、たとえ新婦が嫌がっても「嫌よ嫌よも好きの内」と受け取られる。
これが今回のサプライズだけでなく、様々な方面にあらわれてくるとなると、新郎の方に悪気がない分、始末が悪いし、改善も見込めない。
悪いという自覚がある事柄が改善できるが、その自覚がない場合の改善はほぼ無理だ。
 
人はみな違う。
それは、結婚する二人ですら違う。
血のつながった兄妹ですら違うから、当たり前だ。
だからこそ、その違いを認め合える仲でないと、結婚しても不幸になるのは想像に難くない。
 
強要でなく、歩み寄りができる二人になれる、と感じることができない場合は、考えなおしたほうが良いのではないだろうか。