公共の場所にいると、時々「なんでそんなに急いでいるのだ?」と不思議に思うくらいせかせかしている人がいる。
その中には、急ぎすぎて他の人を押しのけていく人もいる。
車でもよく見られる光景で、特に高速道路では、ハリウッド映画のカーチェイスさながらのような運転をしている車に遭遇することもしばしば。
周りの人からすると迷惑な話で、地球は君のために回っているわけではないよ、と心のなかで叫んでしまう。
それがあまりにも酷い場合は、怒りさえ覚えることもあり、しかしながらそこで怒っても何も解決しないことは理屈では分かっているわけで、結果、悶々とし、その時間も無駄だな、と思うというネガティブループに陥る。
アンガーマネージメントというのがあるらしい。
それによると、怒りの感情のピークは最大でも6秒程度ということだ。
だから、6秒だけガマンすれば、ある程度冷静な判断ができるらしい。
その6秒を深呼吸などの方法でやり過ごす方法だそうだ。
おそらく、脳機能的な側面で適切な方法なのだろう。
が、自分としては、深呼吸するくらいでは、おさまらないことも多い。
自分なりのアンガーマネージメント
アンガーマネージメントという言葉を知る以前から、自分は怒りのコントロールを自分でやっていた。
半分くらいの確率(それが高いのか低いのかは分からないが)で成功する。
それは、急いている人をみたら、身内が危篤になっているのか、身内の出産が迫っているのかで急がざるを得ない状況なんだ、とみなすことにしている。
先に誤解なきように書くが、身内が危篤だったり出産間近だったりしたら、人に迷惑をかけても良い、といっているわけではない。
ただ、本人だけの都合で(つまりわがままで)人の迷惑を顧みずに急いでいると思うよりは、だいぶ冷静に見ることが出来る。
これは、単に「みなしている」だけなので、事実かどうかはどうでもよいのだ。
そうだったとしたら、気持ちは少しわかる、というだけで充分。
実際に、その人と関わることなんてほとんどないので、事実と違おうが(まあ違うだろうが、、)全く問題ないのだ。
危篤や出産でなくても、自分のなかで、それが理由ならば、情状酌量の余地あり、と思えることならば何でもよいと思うが、相手を見下すようなストーリーは避けたほうがよいと思う。
例えば、「あんなに急いでいたら、いつか大きな事故を起こして不幸になるはずだ」的なストーリーは、後味が非常に悪い。
「教育がなってなかったんだろう」や「育ちが悪いんだろう」といった思考も同様。
先日「大人になること」というブログを投稿した。
その中で工事現場の案内係やトラブルの際の駅員に怒りの矛先を向けるのはおかしい、ということを書いたが、そこにも同じ手法が使える。
「本当は不要だと思う工事を上司から命令されて逆らいたいが、それでクビにでもなったらどうしよう、という不安から逆らえない」
「今日は子供とレストランに行く約束だったのに、人身事故が発生して、客の対応に追われている」
何度も言うが、これらは事実ではない。
しかし、自分の気持ちを落ち着けるために考えるだけならば、罪はない。
残念ながら、知り合いには使えない
条件は、その相手と直接コニュニケーションをとることがほぼないという間柄だということ。
待ち合わせの時間になっても来ない友人に対しての怒りを抑えるために、情状酌量ストーリーを勝手に作っても、遅れてきた友人から事実を知らされると、自作のストーリーと事実の差によって、寧ろ怒りが助長されるかもしれない。
素人が考えた、つたないアンガーマネージメントだが、誰かの役にたてばこれ幸いだ。