日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

国家に対して、お金と命とどっちが大事なの、という質問はおかしい

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お金よりも命の対策をしてほしい。
こういった訴えが世論としてある。
この質問はおかしいし、根本的に間違っている。
 

資本主義と社会主義、どちらが「マシ」か?

 
日本を始めとした先進国は、ほとんどが資本主義だ。
資本主義をどこまでも噛み砕いて、誤解を恐れずに表現すれば、お金を稼ぐ能力が高い人が潤い、その能力が低い人が苦労する、ということになる。
つまり、お金を稼ぐ能力と幸福が密接に関係している。
 
この逆が社会主義
社会主義を、これまた誤解を恐れずに大雑把に捉えると、働いて得たお金は一旦すべて国に預けて、国が再分配するシステム。
このシステムでは、能力の高低があまり関係ないので、全体として平等感が増す。
 
一見社会主義の方が理想的な気がするが、現実ではソビエト連邦の崩壊に代表されるように、社会主義体制というのは国として潤いにくい。
 
理由は簡単で、人が楽をしたい生物だからだ。
 
たくさん働いても、大して働かなくても、同じ額しかお金がもらえないのならば、人は楽をしてしまう。
身近な例を出せば、アルバイトがそうだ。
アルバイトは時給制がほとんどだ。例えば飲食店の場合、アイドルタイムと呼ばれる15:00近辺で働いても、ピークであるランチタイム、ディナータイムで働いても、1時間は1時間で、同じ給料だ。
結果、その職場に損得度外視の思い入れがあったり、忙しい方が時間がはやく過ぎるといった二次的な理由があったりしない限り、できるだけ楽な方、つまり客数が少ないことを望む。
 
もっと分かり易い例は、宝くじ。
働いて1億円稼ぐよりも、運良く宝くじに当たって1億円を手に入れる方が楽だから、長蛇の列をなして宝くじを買い求める人が絶えないのだ。
 

社会主義は、国際社会で成り立ちにくい

 
交通機関の発達、その他の要因により、国の経済指標がGNP(国民総生産)からGDP国内総生産)になった。
つまり、国家間での貿易によってうまれる経済動向が無視できないレベルに上がったということになる。
そうなると、その国の資源や技術を他国に売る(つまり輸出を増やす)ことによってその国が潤うということになるが、社会主義体制下では、個人レベルの労働意欲が上述したように低下する傾向にあるので、国際社会としても渡り歩くのが困難になってしまう。
そもそも、国内の、国民に対する政府のような統治機関が、世界にとっては存在しない。
そうなると、どうしても市場原理にもとづいて富の分配が世界で行われる。
これこそが資本主義だ。
国内は社会主義で、世界は資本主義という「ねじれ」のひずみが、国内の経済低迷を招く。
 

資本主義と人間らしさを兼ね備えたシステム

 
資本主義は完全なシステムではない。
他の動物と違い、能力が無い人は自然淘汰される(つまり死ぬ運命にある)、と冷酷に言えないのは、間違いなく人間らしさだ。
だから資本主義体制下であっても、税金の一部はセイフティーネットに充てられる。生活保護などがその一例だ。日本の誇る国民皆保険制度も、同様のものとみなせる。
 
累進課税制、つまりお金を稼げば稼ぐほど税金もたくさん払わないといけない、という税制では、よりたくさんのお金を稼ごうとする意欲(つまり労働意欲)が削がれるではないか、という主張もある。
確かにその通りではあるが、それを聞き入れて、収入額とは関係なく税金が決められる制度にしたら、貧富の差はより大きくなり、まさしく自然淘汰されるのが「仕方がない」という社会になってしまう。
 
人の命は、仕方がない、の一言で片付けられるほど軽いものではない
 
これを逆に捉えれば、お金を稼ぐ能力が低くても、その人が自然淘汰されない為には、そのための絶妙な経済対策が必要だ、ということになる。
 

お金のことを考えることは、命のことを考えることになる

 
お金よりも命の対策をしてほしい。
この質問は間違っている。
なぜなら、お金の対策は命の対策につながるからだ。
 
震災時に経済対策よりも復興支援が先、ということは筋が通っている。
経済対策の効果が現れるためには、時間がかかるが、震災で今日・明日の生活が脅かされている状態では、時間が命とりになる。だから、なにはともあれ復興支援だ。
だからといって、経済対策を怠ると、それはボディーブローのように後から効いてくる。
結果、国全体の経済が立ちゆかなくなり、たくさんの人の死を招きかねない、と考えておく必要がある。
 
お金の対策は命の対策につながる。