昨日のニュースだ。
こういった、近代的な機械(?)に対するマナーの起源を探るのは難しいだろう。
気付いたらみんなしていたし、それを始めた人も、自分が最初だという意識が恐らくない。
まさに同調圧力の影響で、自分自身も少し前までは、片側に寄るのが公共のマナーだと思っていた。
「なんとなく」はじまったマナーというのもあってか、大阪では他の土地と反対で、左を空ける、といった揺らぎもある。
話には聞いていたが、実際に目にしたときは、ささやかな感動があった。
さて、前置きが若干長くなったが、このマナーはNGにしよう、ということらしい。
理由は主に
- エスカレーターは「立ち止まって乗る」ことを前提に設計されている
- 片側を空け、そちら側を歩くことによって起こる事故が多い(都内3年で3865人)
- 実験の結果、立ち止まって乗るほうが混雑緩和になる。
といったもの。
これを見たら、確かにと思うのだが、実際に啓発活動を続けて効果を出すのは難しいのではないだろうか。
難しい理由その1 なんとなくはじまったマナーだから
なんとなくはじまった現象(ここではマナー)を抑えつけるのは、議論を重ねて故意に始めた現象を途中で止めるよりも難しい。
なぜなら、なんとなくはじまったことは、概念上では民主主義(大げさ?)に則ったものだからだ。
もう少し分析すると、公共の場所にあるエスカレーターは、階段もあるが昇るのがしんどい、という人も使うし、少しでも急ぎたいという人も使うので、その両方を叶える方法として自然発生的に現れたマナーで、ここまでは当然ながら筋が通っている。
難しい理由その2 NGの理由がイマイチ
とはいえ、やはり事故や実験の結果を受けて、改善されるべきこともある。
この場合は、その事故や実験の結果から、改善の方法がそれ(片側を空ける、エスカレーター上で歩くのを禁止する)しかない、と言えるだろうか。
本当にこの方法しかないのならば致し方ないが、素人的に考えても他の方法はあると感じてしまう。
- エスカレーターの設計の問題→歩いても良いような設計、片側を空けて重心が偏っても大丈夫な設計にすれば良い。そんなに難しいのだろうか、、
- 事故が多い→歩く人とぶつかる事故を防ぎたいなら、真ん中に衝立でも設置すれば良い。乗り降り箇所では、自動で引っ込む設計にする。緊急停止時の危険があるなら、そもそものエスカレーターのスピードを安全なスピードに下げるとか、幅を人一人しか通れない幅に制限して(今でもある)、手すりを持つことを促すなど。
というように、素人なりの勝手な言い訳をしてしまう。
もちろん、事故は減らしたいし、混雑は緩和させたいが、そこだけで現在のマナーを変えさせるのは、難しい。
さらにこういうことの過渡期には、個人の知識(情報)に差があり、堂々と右側に止まって乗っている人に対して、後ろから歩いてきた人が舌打ちをする、といったことが必ず起きる。マナーを守っている人間の方が不快な思いをする、ということになってしまうのだ。
それを防ぐためには、係員なりを常駐させ、そのマナーを守ることを促す必要があるが、そのために発生する人件費と、エスカレーターの再設計、再設置費と、長い目でみたらどちらの方が高いのだろうか。
なにはともあれ、どんな方法でもよいので、事故減少と混雑緩和に向かえばそれで良い。