日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

かまってちゃん

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こどもの為に作られた曲の歌詞だが、実際の社会では、友達が多ければ多いほど良い、というほど単純でもない。
 
多いことに意味がないと言っているわけでない。
多ければ多いほど良いというものではない、ということ。
 
例えば自分にとっては、友達の多さはさることながら、その深さの方が大切だ。
本音を損得勘定抜きにして話せる友達はかけがえのない存在だ。
 
しかし、これも自分の価値基準でしかないので、色んな価値基準があってよい、と捉えることが、まずは大切だ。
 
ところが、その価値観の多様性を自分自身が認められないが為に、苦しんでいる(ように見える)人もいるみたいで、先日そういう人に出会った。
 

出会って数時間で

 
ブログで、しかも匿名なので書けること、と言われたら悲しいが、あえて思うことを直接書くと、その女性は、容姿が良くない。
明らかに太っているし、美人という顔立ちでもない。
 
その人に出会って、色々と話をすすめると、どうも怪しいところがある。
 
何が怪しいのか。
それは、出会って数時間という関係なのに、本人のかなり深いプライベートの部分を赤裸々に語るのだ。
 
その殆どは男女関係のことが多いのだが、例えばこういった酷いふられ方をしたとか、浮気されただとかということだ。
 
何が普通かというのは決めにくいとは言え、出会って数時間でこんな話をすることには、やはり違和感を拭えない。
 
ちなみに、こちからそういった類の話題を振ったということは一切なく、むしろ他の話題に移ろうとしても、彼女自身が半ば強引にその話題に引き戻すのだ。
 
流石に公開の本ブログ上で詳細を書くことができないので説明がしにくいのだが、要するにその話の一部(または全部)は嘘ということがわかってきた。
 

嘘をつく理由、友達の固定概念

 
こうなると、なぜ嘘をつくに至ったのか、だ。
そこと、前半に書いた「友達」の概念を結びつけて考えてしまう。
 
つまり、おそらくだがこの人は友達が少ない。
少ない理由はわからないが、そこに残念ながらその容姿も関係しているとは思う。
 
加えて、この人は友達の「数」を求めている。
その為には、嘘でもよいから人が耳を傾けてくれるような話題(赤裸々なプライベート)を用意して話す、という結果になっているのかもしれない。
 
深い関係の友達を求めているとは思えない。
嘘をつく人との深い関係は困難だ。
 
世の中では、こういった人のことを「かまってちゃん」と呼ぶこともあるらしい。
簡単に言えば「さみしがりや」だ。
 
しかし、上述したように、友達の数が多い方がよいというのは、友達という概念の一つの選択肢でしかない。
 
それを言えば、嘘をついて周囲の人の気を引くことによってできた友達という概念も、選択肢の一つと言えば確かにそうだ。
しかし、心の底からそんな友達の概念を望んでいる人なんているのだろうか。
 
どちらかと言えば、友達の数が多い方が良いという概念にとらわれすぎていることによる反発作用ではないのだろうか。
 

素直に友達を作れば良いだけ

 
友達の概念には決まりがない。
リアルでも、ネット上でも、同性でも異性でも、同年代でも世代違いでも、なんだって良い。
 
しかし、もし「本当の友達」というものを無理やり定義するのならば、そこにはあからさま「嘘」はあってはならないのではないだろうか。