ジャズという、日本ではあまり馴染みのない音楽ジャンルにもかかわらず、結構な認知度を誇っている矢野顕子氏。
(もはやジャズではない、という意見もあるが、ここではそもそもジャンル分け自体がどうでも良い)
ピアノの演奏もボーカルも、それはまさしく「個性」が滲み出ていて、その個性こそが彼女の魅力を形作っていると感じる。
リンク中にある記事は、幼少期からの音楽との関わり方だが、
「指の赴くまま即興で演奏」
「聴いたレコードをなーんとなく弾いてみる。自分流でね」
というところが面白い。
幼少期から、既に自発的な学習をしているのだ。
「基礎が大事」は、分野にもよる
ピアノや音楽に限らず、習い事やスキル習得の為には、まず基礎をみっちりとやって、、、ということからが多い。
そして、基礎はマニュアル化しているものが多く、そこに「アドリブ」が入る余地がないことのほうが多い。
たしかに、基礎は様々な分野で大切なことは明らかで、例えば学問などは、基礎知識がないままだと、その後の理解・解釈に重大なミスが生じることもある。
一方、基礎を必ずしもやる必要のない分野というのも存在している。
ポップスを含む音楽はその典型。
なぜかというと、最終的に創り上げる音楽の優劣を絶対的に判断するものがないからだ。
音楽というのは、器の大きい文化
クラシックにおいて、モーツァルトの作った曲が大した事ない、と言ってしまったら物議を醸しそうだが、ポップスにおいては、サザンオールスターズの桑田佳祐氏が作った曲でも、主観であれば「大した事ない」と言っても許される。
そして、どちらも「音楽」には違いない。
人は生まれた瞬間から個人差があるので、クラシックが好きなのか、ポップスが好きなのか、そもそも音楽が好きなのかは決まっていないし、分からない。
従って、小さいながら本人(つまり幼少期の子ども)に判断させるしかない。
保護者は、できるだけ多種多様な刺激をあたえ、どれに興味を示すかを観察するくらいしかできないもので、強制することは生産的とは言い難い。
これができそうでできないものだ。
結果、音楽の世界では、世に出回っている音楽ジャンルと、幼少期の習い事としての音楽ジャンルが乖離している。
保護者ならば、少しは自分のエゴを子どもに投影したい気持ちがあるのも当然だが、それを最小限に抑えるように気をつけないと、子どもの可能性を奪いかねない。
(音楽はやってほしい、でもジャンルは望まない、といった具合)
タイトルに違和感
全く関係ないが、このインタビュー記事は非常に良いものの、タイトルの付け方には少し違和感を感じる。
「天才」と呼ばれ、違和感があった、というタイトルからは、それについて掘り深めた記事なのかと想像したのだが、タイトルそのままの文章が一文のっているだけで、サラリと流されている。
自分自身もこのタイトルに惹かれこの記事にたどり着き、結果良い記事を読むことが出来たのだが、「釣りタイトル」のような印象を受けないでもない。
せっかく良い記事なので、できればタイトルももっと本質を突いたものにしてほしかった。