今から13年前の今日、名古屋テレビ塔から100万円がばらまかれる、という事件があった。
少しだけだが、当時ニュースを聞いた覚えがある。
このニュースを覚えているかというと、実は自分もそういった場面に関わったことがあるからだ。
関わったことがあるというと大げさだが、ばらまかれたところに、紙幣を探しに行ったことがあるということだ。
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名古屋の事件をさかのぼることさらに6年。
交通量の非常に多い交差点にかかる歩道橋の上から、ある男が数百万円分の紙幣をばらまく、という事件が発生した。
ばらまかれた紙幣回収のために、周囲の混乱は凄まじく、車は大渋滞。
その渋滞中の車の一台が、自分と友達の乗っている車だ(自分を含め計3人)。
ばらまかれた瞬間を見たわけではないが、すぐに警察による交通規制も始まり、全く車が動かない状態になったので、車をおりて集まっている野次馬に聞いて、何があったのかを知った。
現場の混乱は異常だが、交通事故などの異常さとはまた違った雰囲気。
当然だ。紙幣がばらまかれたというのは、直接的な被害者はいないどころか、むしろ面白そう、と思うのも無理はない。
かくいう自分たちも、事件を心配しつつ(?)、本当は目を凝らしてどこかその辺に紙幣が落ちていないか、ものすごい集中力で探す。
その時、結局自分たちは紙幣を見つけることはできなかった。
実際、周囲に警察がわんさかいる状態で、たとえ紙幣を拾ったとしても、ネコババするのは難しかったのかもしれない。
当時はSNSがないので、そのニュースをメディアで見たのは、事件の数時間後、夕方を超えていた。
ばらまかれたのは800万円前後、そして回収されたのは600万円前後ということだ。
ほう、、、そうなのか、、、、と思うに決まっている。
友達も、同じことを思ったに決まっている、と思い、ノーアポで友人宅に向かう。
インターホンをならすと、すぐに出てきて、「いくぞ!」と。
まあ、そうなる。
車を持っていた友人宅に向かうと、すでに出発するところだった。
考えることはみな同じだ。
その夜、付近は同じことを考えているひとでいっぱいになっており、昼間の渋滞よりもこっちのほうが大変なことになっていた。
がめつさに対する恥ずかしさと1万円を天秤にかけるとどちらに傾くのか。
そんなことはわかりきっているからここにいるのだ。
3人で必死に(本当に必死に!)探した結果、、、、なんと1万円札を1枚発見。
素晴らしい。
素晴らしすぎる。
額ではない。努力(??)は実る、ということを実感した。
雰囲気的に、その場で勝利宣言を大声でするわけにもいかず、車にこっそり戻って大笑い。
その1万円を手にし、すぐさま居酒屋へ。
美味しい酒だった。
車はそのまま夜通し駐車場に停めた。
考えてみれば、3人で1万円ならば、各々が普通にアルバイトしても稼げる金額だ。
時間や労力を考えても、決してコスパは高くない。
そんな計算ができるような年ではなかったし、恥ずかしさなんてなんのそのだった。
宝探し的な経験という意味では、感慨深い。