英語の人気はいまだおとろえることはないようだ。
男女ともに人気があり、習い事ランキングではスポーツ、音楽などに次いで常に上位にある。
インターネットの普及によるところも大きいようだ。
このように、とにかく英語が圧倒的で、より多くの情報を集めようとしたときに、英語は必須条件となる。
英語上達の最もよい方法は、英語圏の国に住んで生活することだろう。
朝から晩まで英語漬けになり、生活が英語ベースになれば、絶対に話せるようになる。
たまに海外生活が長いにも関わらず英語があまり話せない人がいるが、それは英語でのコミュニケーションを意図的に排除しようとしているとしか思えない。
(家から出ない、現地の人と友達にならないなど)
さて、前置きが長くなった。
このように英語が人気なこともあり、英語が話せる人、その中の多くの、英語圏に住んだ経験がある人に、その経験を聞きに行く人も多い。
かくいう自分も、一応(?)英語圏の国に住んでいたことがあるので、いろんな人が話を聞きに来た。
しかし、経験論は話せるが、最低限しか話せない。
なぜなら、そんなに多くのことはわからないからだ。
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先日ある人に知り合った。その人は、以前英語圏の国(確かイギリスだったと思う)に住んでいたようで、その期間は5年。
1、2年ならよくいるが、5年となると確かに相当長い。もちろん英語力は十分。
ということで、その国のことや経験を聞きに来るひとも多く、それに応えていた。
しかし、5年という期間が長いというのは、一般的な日本人と比較してという相対的なものでしかない。
ここが罠で、5年という期間は絶対的に長い時間ではない。
少なくともイギリス人と比較すると、相当に短い。
逆を考えればわかりやすい。
日本にきて5年経った外国人は、日本のことを熟知しているかといえるかといえば、甚だ疑問だ。
社会人5年は少なくとも、まだまだ社会人なりたて、に分類される。
それなのに、その外国人が帰国してから、周りの人に「日本というのは」ということをよくよく知っているように語られると、それはどうかと思ってしまう。
経験は大事だし、滞在期間の長さにかかわらず把握できることも多くある。
しかし、文化的なことや国民性といったことは5年くらいではほとんど把握できないと思っていたほうが良い。
これも具体的な例を出せば、例えば大阪。
来日した外国人の住む先が大阪だった場合、そこに5年いて帰国したら、「日本はボケとツッコミが当たり前のコミュニケーションで」となってしまいがちだ。
外国人にとっては、それが日本で広く普及している文化なのか、地域的な文化なのかよりも、自国の文化とは何が違うか、という認識に寄ってしまう。
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発言者の立ち位置の把握は大切で、つまり「いち経験者の、たった一つの視点での話」というスタンスをしっかりと認識することが重要だ。
自分の周りに少なからず、「この国はこういう人が多くて」といった発言をする人がいるので、書いてみた。