日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

クリスマスや節分と食料廃棄問題

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恵方巻きを全国レベルの認知度に高めたのはコンビニだという。

実際自分が恵方巻きを知ったのはここ数年で(こういう記憶は若干曖昧だが)、その前は節分といえば豆まきだった。

こういう慣習に科学的な根拠をもとめても仕方ないし、特に害もない、むしろ経済効果も期待できるので、良いのではないかと。

ちなみに、自分においては、炭水化物を極力控える(ゼロではない)食生活を心がけているので、恵方巻きを食べる予定は無い。

子どもがいるので、豆まきをやって喜ばせようという気はある。

(子どもがいなかったとき、節分は単なる一日以上のなにものでもなかった)

しかし、こういう慣習で考えさせられるのが、食料廃棄問題。

クリスマスとクリスマスケーキ、節分と豆・恵方巻きなど、その日に紐付いた食べ物がある場合、それら食物は該当の日を超えると、本当に普通の食べ物に変わってしまう。

最初から普通の食べ物なのだが、そこに何かしらを感じるからこそその慣習があるのだろう。

だから、繰り返しになるが、その日が終わると、食べ物以上の付加価値がなくなってしまう。

結果どうなるかというと、その日をすぎて余ってしまったものの処理をしなければいけなくなる。

それが一般家庭の場合はまだ良い。食物として消費すればよいだけだし、実際そうしている家庭がほとんどだろう。

一方、製造や販売するほうはどうか。

これは、処理に困る。最近の、特に恵方巻きなんかは、包装紙に「恵方巻き」の表示がでかでかとあるので、節分を超えて売ることは憚られる。

製造量の調整もするだろうが、微調整は難しい。売上のためには、店頭在庫切れを何が何でも防ぎたいので、少し多めに製造して余裕をもたせるだろうし、だからこそ確実に余る。

食品業界の裏には詳しくないのでわからないが、おそらくかなりの量の廃棄が出ているのではないだろうか。

企業は利益が大切なので、廃棄が出て心は痛むかもしれないが、かといって店頭在庫がなくなるほどギリギリの製造に切り替えるという方針転換は難しい。

しかし、単純に考えて、腐ってもない食べ物を廃棄するのは良くない。

豆はもちろん、恵方巻きも中身は太巻きを同じで、その見立てが違うだけだ。

つまり、包装紙やパッケージに、その時期に食べるものという表記があるから、その日を超えると販売しにくくなる。

そこで、こういった食べ物は、表記を包装紙にするのではなく、店頭のPOPですればよいのではないだろうか。

恵方巻きなら、年中販売しても問題ない太巻きを、その時期だけ「恵方巻き」というPOPをつけて販売すれがよい。

そうすれば、その時期がすぎてもPOPを外すだけだ。

思いつき感満載の提案だが、もっと賢い人達や、製造・販売に携わっている人たちがより良い案を考えて、少しでも食料廃棄が減るようにしてもらいたい。