日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

経験ありの苦い思い出

中学生くらいの頃、年配(に見えた)の人に電車内で席を譲ろうとしたら、

「おれはまだそんな歳じゃない!」

と結構大きな声で怒られ、その人はその場を後にした。

周りの空気は最悪で、しかし電車内でそこから動きようもなく、なんとも気まずい空気が流れ続けた。

あれは結構なトラウマになり、実際それから約10年以上席を譲ることができなかった。

譲ろうとしても、その経験が邪魔をするのだ。

再度席を譲る事ができるようになったのは海外在住中。

自分と台湾人の2人で、バスで一番後ろに座っていると、乗口(一番前)から年寄りの女性が乗ってきて、運転席に近い場所に立った。

つまり、その女性から自分達はバス車内で最も遠い距離にあったのだ。

にも関わらず、自分の友人である台湾人は間髪いれずに立ち上がり、女性のところまで行って、自分達の席まで案内し、席を譲った。

しかも、その台湾人は英語がまだ全然通じないレベルだったので、その女性に譲るのもジェスチャーのみで意向を伝えての行動だ。

席を譲る人は多く見たことがあったが、こんなに当たり前のように席を譲る人は見たことがなく、自分の経験から席を譲ることをためらっていた事を恥じた。

席を譲る方、譲られる方、双方の歩み寄りや思いやりがあってこそ成り立つことだ。

譲る方は、自分と同じような経験をした人が、自分と同じような理由で席を譲らない、という人もいるだろう。

しかし、その経験たった一つで、自身の良心が無きものになるのはもったいない。

おそらく、その良心を必要としている人の方が多い。

一方、譲られる方は、少し気恥ずかしい中譲ってくれたという人の気持ちを慮ることも大切だ。

譲るほうが、まさか年寄りを馬鹿にするために席をうゆずるはずもない。

何らかの理由で断るにしても、断り方一つでその場の空気も、その思い出もは大きく変わる。

最後に、最近のお年寄りは、という批判はいかがなものか。

統計上最近の年寄りはマナーが悪い、というデータがはっきり出ているのならばわからないでもないが、それにしたって一括りにするのは大雑把に過ぎる。

最近の若者は、という批判はまったくもって腹が立つものの、それに呼応して最近の年寄りは、と言い出すと、不毛な争いになる。

若者、年寄り、といった年齢層でマナーの良し悪しを判断する意味はなく、「その人」のマナーがどうか、で判断すればよいだけのことだ。

歩み寄りは世界を救う。

大袈裟だが、本当にそう思う。