記事元は東洋経済ということもあって、明らかにビジネスマンをターゲットにしています。
かつ、ネクタイなので男性対象の記事と考えてよいでしょう。
本屋の話題本のところにも、人の印象は見た目で9割が決まる、といったタイトルの本をみかけたことがあります。
ビジネスに限らず、相手が家族でも恋人でも友人でも、見た目が相手に与える印象は無視できるわけがありません。
時々、恋愛において、容姿と性格、どのくらいの割合で相手を選ぶか、といった話を聞きますが、おそらくあれは嘘です。
SNSが普及した現代ならば可能性としては捨てきれませんが、いまでも多くの場合は、初対面で見た目と性格、どちらを認識するかといえば、確実に見た目が先です。
そして、その見た目をクリアした人だけが、恋愛対象になる可能性ができるのです。
イケメンや美人でなくても構わない、という意味と、
見た目はどうでも良い、という意味は、全然ちがいますよね。
話がそれましたが、冒頭の記事はネクタイという、見た目を左右する象徴的なものをきっかけに、見た目に気を使うことの重要性を訴えているのでしょう。
中身を読んでいくと、詳しいことが書いてあります。
その内容は記事本文に譲りますが、大切なのは、見た目に気をつかっているかどうか、ということでしょう。
そして、見た目に気を使う、ということそのものが、その人の性格を表しているとも言えます。
心理学的に言えば、どの色がどうだとか、どの大きさがどうだとか言うのはさておき、毎日外出する前に、鏡をみていますか、ということですね。
他人にどう映るかのまえに、少なくとも自分自身では納得のいく見た目になれているか、ということでしょう。
その先は、人の好みの問題です。
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一方、見た目に気を使うという行為が独り歩きしてしまっている風潮も否めません。
上にも書いたように、ネクタイかどうか、ということよりも、本人が見た目に気を使っているかどうか、ということが大切です。
つまり、極論を言えばネクタイでなくても良いわけです。
ビジネスの世界では、ネクタイ着用がマナーになっていますが、これこそまさに、根拠を忘れたマナーの独り歩きです。
ビジネスの世界だけではありません。
自分のいる音楽の世界でもそういったことはありました。
マナーとはまったく逆方向ですが、ロックというジャンルをライブでするにあたって、ラフな格好であればあるほどかっこよい、というのはわかります。
それがいつしか、ロックはラフな格好でなければいけない、という逆転現象がおきました。
カッコよければ何でもよいはずなのに、です。
日本の若者が、ある時期「シフクロック」という文化をつくりました。
名前の通り、シフク(私服)でロックをする文化です。
具体的なバンド名は出さなくても、いくらでも思い当たるバンドはあるでしょう。
むしろ、今の20歳前後の世代にとっては、その方がロックの王道スタイルと思う人がいてもおかしくないくらいですね。
そして、ロックの格好はこうあるべきだ、という固定観念を持っている人以外、誰も傷つけることなく、そのスタイルは広まりました。
あらゆる文化はこうやって多様性を増していくのだと思います。
明らかに人を傷つける行為は多様性には含まれるべきではありませんが、私服でロックをすることで明らかに人を傷つけるとは思えません。
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冒頭記事の批判をしているわけではありません。
ただ、マナーや作法は、時にその根拠が忘れ去られる「形骸化」が起きてしまいます。
見た目にも気をつかうべきですが、こういうところにも気をつけたいところです。