このニュースに関しては、批判の記事、ブログが出ていますね。
それは当然かもしれません。
労災認定の基準、過労死に関しては月80時間です。
忙しい時期だから100時間残業させることを認めるのは、過労死を招く残業時間を一時的に認める、ということに他なりません。
そもそも、一日実働8時間というのは、嫌なことを続けることができる上限時間という意味で設定された、と聞いたことがあります。
つまり、そもそも8時間を上限に設定するべきで、定時はもっと短くするべきなのかもしれません。
しかし、企業側にすると、忙しい時期と暇な時期があるのは仕方なく、かつその度に新しい人を雇ったり解雇したりするのは現実的ではないでしょう。
一方、高橋まつりさんの過労自殺事件のようなことは繰り返すわけにはいかないので、何か手は打たなくてはいけません。
私はフリーランスで、雇われているわけではないので、雇われて精神的に追い詰められて、過労死、ということに対するミクロな視点での対策は思いつけません。
ミクロな視点は、現場にいる人にしかわかりませんから。
でも、働くというほとんどの人が担うこと且つ、そのバリエーションが無数にあることに対しては、マクロな視点での対策も必要です。
マクロな視点は往々にして時間がかかる対策です。
時間がかかることを後回しにし続けた結果が、いまの劣悪な労働環境を醸成した、ということも言えるでしょう。
マクロな視点での対策を実施できるのは、政治です。
国会議員は選挙で選ばれます。
だからみんな投票に行きましょう。
話がそれましたが、自分なりにマクロな視点でこの問題対策を考えると、行き着く先はいつも「教育」になります。
日本の教育において、上下関係や縦社会は、敬語のきめ細かさに顕れているように、とても重要視されているように思います。
上下関係や縦社会は、組織の統率という意味で必要なことです。
しかし、嫌なことや理不尽なことでも従う、という美学には疑問を持ちます。
白のものでも、先輩が黒と言ったら黒だ。
こういった類の文言をよく耳にしますが、無駄な体育会系の正しい哲学のように語れていることも少なくありません。
行き過ぎた上下関係、縦社会構造の教育は、同時に空気を読むことや、自分の意見を押しとどめるといった方向に向かう可能性を秘めています。
この可能性を踏まえたうえで上下関係や縦社会を教えないと、最悪の場合人の命が奪われます。
高橋まつりさんの過労自殺、最悪な結果に至った精神構造の中には、周りのみんなが頑張ってやっているのに自分だけがきついとは言えない、という空気を読む心や、意見を言うことを躊躇させた上下関係があることは間違いないでしょう。
でなければ、無関係な人が言うように、「嫌なら辞めればよかった」ということになります。
初等教育段階から叩き込まれた精神構造を変えるのはとても難しい。
だから、教育は最重要課題だと思うのです。
教育は国家100年の計と言われるほど時間と労力がかかります。
それでも、私たちはそれに挑み続けるべきでしょう。
働き方改革に、これは必要最低条件です。