今日はやっぱりこれでしょう。
未曾有の大震災から6年が経ちました。
私は震源地から遠く離れた場所に住んでいるので、直接の影響はありませんでした。
「なんか地震あったみたいね」と軽く友人が発した言葉が最初に震災を知った瞬間です。
地震のニュースは普段からよく聞くので、正直「またか」くらいにしか思っていませんでした。
そして、なんとなくネットの中継を見た時に、あの津波の映像を見たのです。
これは本当にそうなんですが、それが中継の映像とは思わなかったんです。
地震と津波は、今でこそすぐに結びつく言葉ですが、当時は少なくとも私はすぐに結び付けられませんでした。
アナウンサーの声も、少しは緊迫したものでしが、それでも画面に映る信じられない映像とはギャップがありました。日常とのギャップは、よりありました。
地震は天災で防ぎようがありません。
一方、原発はどうでしょうか。
原発推進派、否定派の議論は平行線です。あえて私の意見は述べませんが、口論ではなく建設的な議論を求めます。
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震災当時、確認されている死傷者は◯名です、といった報道が次々されて、その数がどんどん増えていきました。
しかし、こういう震災では◯名の死傷者が出た大きな災害が一件あった、と見るべきではなく、死者が出た事件が同時に◯件発生した、と見るべきだと思います。
亡くなった人数で捉えてしまうと、関東大震災よりは少ないな、となってしまいます。
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6年前に震災が起きてから、人によっては「もう6年」、人によっては「まだ6年」でしょう。
ただ、私の様に被災地から遠く離れた人の意識は、やはり薄れていきます。
忘れてはいけないと思いつつ、普段の生活の方に時間や労力を奪われてしまいます。
ただ、それではいけません。
記念日や◯周年パーティーの類にはほとんど興味がありませんが(自分の誕生日すら忘れてしまうくらいです)、忘れてはならないことの為にその日を特別な日にすることならば、それには大きな大きな意義があると感じます。
復興はどれだけ進んでいるのでしょうか。
政府のやっていることは、どれだけ被災者の為になっているのでしょうか。
これらを語ると、必ずといってよいほど「批判」ばかりが出てきます。
批判は悪いことではありません。でも批判ばかり、はいかがなものかと思います。
悪いことは悪いと叫びつつ、政府がやってくれていることにも認めるところを見出さないと、前に進む社会にはなりません。
被災地から遠く離れたこの地、6年たったこの日に、私自身にはいったい何ができるかを真剣に考えながら一日を過ごします。