- 才能あふれる
- その能力が多岐にわたる
- お金に困らない
この3つがそろうと、あまり良い結果にならないことが多い、という私なりの統計があります。
私は音楽の世界にいます。音楽と才能は切っても切り離せません。
そして、才能はあればあるほど良いに決まっています。
さて、才能と言ってもやはりいろんなレベルがあります。
超がつく位の才能があれば、なにも考えなくてもうまくいくでしょう。
というより、なにも考えなくてもうまくいった人は、超がつくほどの才能の持ち主だと判断すべきだということです。
しかし、このレベルの人はまさに氷山の一角で、一般レベルよりは幾分才能がある、というレベルの場合のことのほうが多い。ピラミッド型ですね。
そのレベルの才能保持者は、それを努力や運で補完する必要があります。
コントローラブルなのは、努力ですね。
(努力できるかどうかも才能ですが、ややこしくなるので、そこは省きます)
努力ができるかどうかって、環境が大きく作用しますよね。
そこで冒頭2つ目の話になります。
例えばある分野に特化した才能ならば、その分野に努力を払うのは至極自然な流れです。
自身の才能値を自覚しているのならば、それを目指すのは苦手なことを克服する努力よりもずっと前向きな努力です。自己満足度だって高いでしょう。
逆に、才能が他分野にもある場合は、何でもやりたくなります。才能がある分野でさえあれば、何をやっても自己満足度が高くなりますし、人は本来飽きやすい。
しかし、努力の基本は、時間です。
そして、どれだけ才能あふれる人でも、時間だけは一般の人と同じだけしか与えられません。
すると、どうしても一つの分野にかけられる時間が少なくなります。
分野が多ければ多いほど、一つあたりの時間は減ります。
そうはいっても、自分の欲望、つまり自覚している才能分野に手を出したい、という気持ちはそんなに合理的には抑えられません。
ここで3つ目です。
才能が多分野にわたる人でも、結局お金が無かったら、時間をかける前に環境が整いません。
いくら才能があったとしても、費用が一切発生しない分野はありません。
そもそも、ただ生活していくだけでもお金がかかるので、その為にお金を稼ぐという行為をしなくてはいけませんが、お金を稼ぐという行為には当然時間を奪われます。
つまり、全部やろうと思っても、費用的にも時間的にも困難になります。
ということで、お金に困っていたら、身を投じる分野を結局しぼらざるを得ないこととなります。
逆に言えば、お金があれば、全分野に手を出す欲望を抑える壁がない結果になります。
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英才教育は否定しません。才能があると思われる分野に時間とお金を保護者がかけることは、良い投資だと思います。
ただ、いくらでも、どんなことにでも、ということとなると話は変わります。
確かに世の中には、才能が多岐にわたる人がいるのです。
そんな子を持った時、そこに次々とお金をつぎ込むということは、はたして良い結果を生むのでしょうか。
音楽の世界に入って結構な年月が経過し、才能あふれる若者が夢をおいかけてこの世界に入ってくるのをたくさん見てきました。
氷山の一角レベルの才能を持つ人を除けば、いくら才能があるといっても、それだけで生計を立てていけるほどの仕事をこなすようになるのには、やはり時間がかかります。
その人に保護者がいる場合、保護者がとる行動には2パターンあります。
できるだけその分野に打ち込めるように、生活費を含めた援助を全面的にするパターンと、本人にどうにかさせるタイプです。後者の極端なパターンが、放任です。
そして、音楽の世界に残り続ける人間は、少なくとも私が見た中では、圧倒的に後者が多い。
理由もなんとなくわかります。
後者は、生活費を稼ぎながらその分野において努力するのはムリ、という人が自然淘汰されるからです。
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こんなことを言ったら音楽に対する冒涜だと言われかねませんが、音楽をすることよりも、生きていく事のほうが何倍も大切です。
ある店で「NO MUSIC,NO LIFE」というフレーズをみかけますが、あれは順序が反対。
NO LIFE,NO MUSIC