タイトルに意味がなかった、とありますね。
これが本当ならば、速読の方法論を書いた本や教室は嘘だと言うことになってしまいますが、どうなんでしょうか。
そもそもなぜ速読したいのか、ということから始めなくてはいけないでしょう。
忙しい現代人、空いた時間を有効利用するため、少しでも早く本が読めたら、なにかと役に立つ、という理由をよく聞きます。
しかし、どちらかというと、意味もなく早く読み終わりたい、という方が大きいのではないでしょうか。
飛行機に乗る際、早く歩いても遅く歩いても何一つ変わらないのに、待合場所から機内まで急いでしまう人が多いという、あれと同じです。
つまり、私の考えでは速読は特にする必要がありません。
速読したいという人にある、また別の理由に、読むのが遅くて集中力が持たず、読了できない、というものがあります。
これは、読者の能力ではなく、本がいけない。もう少し詳しく言えば、本と読者の相性が悪い。
これだけの数本があれば、自分に合わない本もたくさんあります。
それに、本と人との相性は限りなく個人的ですから、いくら人が読みやすい、面白いと言っても、自分にとってはイマイチ、ということも多々あります。
集中力が持たない本は、さっさと諦めるのが良い方法です。
誰にでも、本を読む速度があがることを実感できる方法があります。
それは、ある本を読了したら、すぐにまた最初から読み始めることです。
やったことがある人ならばわかるとおもいますが、初回よりかなりスピードがあがります。
なぜスピードがあがるのでしょうか。
それは、読んでいるときに次が予想できるから、また一度読了して全体を把握しているので、文章理解が早まっているからです。
しかし、これでは全体として時間が多くかかってしまっています。
そのための方法が、目次精読です。
目次というのは、各セクションのタイトルが載っていますが、これをしっかり丁寧に読むと、本全体のことがつかめます。
これをアタマに入れた状態で読むと、一度読んだ本を読むときまでとは言いませんが、結構早くなります。
そもそも、目次の存在意義はそこだと私なんかは思っています。
そうでない限り、目次がある理由は見当たりません。
ちなみに目次精読は、フィクションには適用されません。
フィクションで目次を読んでも、理解が深まることはないでしょう。
逆に、目次でなんとなく理解できるフィクションというのも考えものですね。
そもそもフィクションは速読するものでもないと考えます。
自分のスピードでしっかりと噛みしめるように読むのが、フィクションを楽しむ一番の方法ではないでしょうか。