喜怒哀楽は人感情として当然あるものですが、そのうち「怒」はトラブルの種になりやすいですよね。
感情的になって怒り、後で後悔した、という経験は少なからずの人が持っているはずです。
人によっては、それを繰り返しやってしまう、という人もいるかもしれません。
感情的になっている時にうまく自己コントロールすることは相当に難しいと思います。
というより、自己コントロールするのが難しいくらい怒っている状態を、感情的になっている、と呼ぶのかもしれません。
それは喜怒哀楽、どれにもあてはまることではありますが。
冷静な時のようにうまく自己コントロールできないのならば、コントロールする内容を簡素化するのが最もてっとり早い。
そして、感情的になったときの自分のコントロール内容を、冷静な時にあらかじめ考えておくのが良いと思うのです。
感情的になっているとはいえ、少しくらいは自己コントロールできるでしょう。
少しもコントロール出来ない人の場合、犯罪にまで発展してしまいますが、それはもう病院に行って診てもらうレベルでしょう。
少し調べると、怒りのピークは約6秒だそうです。
つまり、6秒間だけ言動、行動を留められれば、冷静な判断ができる可能性が高いということです。
コントロール内容に必要な「簡素」という要素は満たしていそうですね。待つだけです。
実際に感情的になったときには、この待つという行為ですら結構難しいものですが。
しかし、6秒待った後、また怒りのピークがやってくることもあります。
それは相手との口論の時によく起こります。
何かを言われて感情的になってしまう、ということはよく起こることです。
すると、こちらも感情的な言葉を相手に対して発してしまう。その言葉が相手の火に油を注ぐことになる、という悪循環をうみます。
この場合、6秒待ったところで、結局同じ結果になってしまいますよね。
そういう時、私はその場をすぐに去り、文章を書くことにしています。
書いた内容をメールで送ることもあれば、また口で言うこともありますが、ひとまず文章を書くのです。
文章は書いている時点では一方的です。つまり反論を受けません。後に反論を受けるにしても、口論のスピード感よりもずっと遅いタイミングです。
それに、文章を書くのは大抵の場合モノを言うより遅い。
つまり、文章を書くという行為は、主張して反論を受けてというスピードに置いても、主張をするという行為自体をみても、なにかと遅いわけですね。
実際に私は、文章を書いているうちに自分自身の落ち度に気付いたこともありますし、理不尽な内容にも気付いたことがあります。
主張をする方にしても、より論理的に、冷静に書くことが可能です。
もしかして、書くという行為は言うという行為と比べるとあと(記録)に残りやすいので、冷静にならなくては、という意識も働くのかもしれません。
怒りをコントロールするためには6秒待つ、と上に書きましたが、それに限らず怒りを鎮めるのには、とにかく時間を味方につけることが肝要だと思います。
人の最大の長所は、忘れられることだ、と誰かが言っていましが、それもつまり、時間が解決してくれることが多くあるということは暗に示している気がします。
ぜひ試してみてください。