日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

その楽器は、なぜ存在しているのか

toyokeizai.net

 

音楽の世界に身を置くものとしては、興味深い記事です。

ピアノは楽器の王様のような存在。音域も広いし指10本をほぼ同時に使えるので和音の組み合わせも豊富。

適するジャンルもクラシックからジャズ、ポップスまで垣根がないどころか、不可欠というレベルの存在感があります。こういう側面では、ピアノに対抗する他の楽器は見当たらないのではないでしょうか。

 

この記事に出てくるピアノは、みなが当然だと信じているピアノの黒鍵と白鍵の位置を全てフラットに配置させるという大胆なものです。

 

音楽理論をすこしだけ。

ドとド#の間は半音離れていて、ドとレの間は全音(=半音+半音)離れています。

離れているというのは、音の高さである周波数的にそうなっている、ということです。

それを踏まえて、ミとファの間はどうでしょう。

普通のピアノの「見た目」から推測すると、全音離れている気がしませんか?

他にも、シとドの間も全音離れていそうに見えます。

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しかし、実はミとファの間やシとドの間は、半音しか離れていません。

 

ドから1オクターブ上のドまでのドレミファソラシド、各音間の距離を書くと

「全全半全半」

になります。中途半端な箇所に「半」が入っていますね。

しかし、その中途半端感とは裏腹に、この音の距離を守って順番に弾く、つまりピアノの白鍵だけを辿っていくと、「正しい感じ、普通の感じ」の音階に聞こえます。

これはメジャースケールと呼ばれています。

 

では、半をなくして全音階でたどっていくとどうなりますか。

音的には

ド・レ・ミ・ファ#・ソ#・ラ#・ド

となり、音の数が減ります。実際に聞くとわかると思いますが、ちっとも「正しい感じ、普通の感じ」の音階になりません。

これはホールトーン・スケールと呼ばれています。

 

逆に全を抜いて、全て半音階にしたらどうなるでしょうか。

ド・ド#・レ・レ#・ミ・ファ・ファ#・・・・シ・ド

となり、これは音数が増えます。これにもクロマチックスケールという名前がついています。

言葉で表現するのが難しいのですが、少なくとも「正しい感じ、普通の感じ」とは違いますよね。

 

これらは「正しい感じ、普通の感じ」かどうかであって、正誤の問題ではありません。あえてホールトーンスケールやクロマチックスケールをつかうこともあります。

ホールトーンスケールは、スティービーワンダーの「You Are The Sunshine Of My Life」に出てくるフレーズなんかがとても有名ですね。4秒あたりです。

Stevie Wonder You Are The Sunshine Of My Life - YouTube

 

さて、正誤の問題ではないにしても、「正しい感じ、普通の感じ」という感覚があるのは確かで、ピアノの場合はそれが白鍵を辿っていくだけで実現できるようになっています。

習いたての子どもも白鍵だけを弾いているときは楽しめるのに、黒鍵が入ると挫折してしまう

記事中に出てくるこの意味はどういうことでしょうか。

ピアノを習いたてのころはどちらかというと「正しい感じ、普通の感じ」の曲を多く弾くので、白鍵だけ演奏可能です。逆に言えば、黒鍵は弾かない。

黒鍵と白鍵の位置的な差は、弾かなくてはいけない鍵盤の選択肢を減らすという役割を担っている、といえるのです。

だから、すこし複雑な曲に取り組む時は、音的にも位置的にも色的にも(?)難しそうな箇所にある黒鍵を弾くことになり、難しさを感じてしまう、それが挫折を招く、ということでしょう。正しい意見だと思います。

 

それを打開するために生まれたのが今回紹介されている未来鍵盤です。位置的な差をなくした、ということですね。

 

合理的な考えによる発明だと思いますが、それが良いことなのかどうかはわからない、というのが私の意見です。

こと音楽・楽器において、合理的であること、機能的であることはあまり意味を持ちません。

それは、合理性や機能性からすると明らかにピアノに劣る楽器が世の中にはやまほどあって、しかしながらそれらの楽器は、各々の存在感をいかんなく発揮している、という事実があるからです。

 

ギターとピアノを比較すればわかりやすい。

冒頭に書いたように、ピアノは、ある側面で圧倒的に優れているのは事実です。

比較してギターはどうですか。6本しか弦が張ってないので最高6和音、フレットを抑える(右利きの場合)左手の制約もかなり強い。それは演奏の音的なバリエーションが狭くなることを意味しています。

少しギターに詳しい人ならば、ギターが構造上完璧にチューニングできないことも知っているはずです。

 

これだけピアノに劣っているにも関わらず、ギターがピアノに駆逐されなくなることはありません。

なぜなら、楽器は楽器本来の持つ音色が存在意義のほとんどを占めているからです。

ピアノとギターならば、絶対にピアノには出せない音色がギターには出せる、ということろが大切なんです。

それは、同時発音数、演奏制約、チューニングよりもはるかに優先されることです。

 

本文中にこうあります。

携帯電話がデコボコだったら操作できますか?

これも、楽器に合理性や機能性をあてはめようとした意見です。

携帯電話と楽器を同列に語ることはできません。携帯電話は利便性を追求するデバイス、つまり便利であればあるほど良い。

しかし、ピアノに便利さを求める人なんていないでしょう。

 

繰り返しますが、音色が最重要です。

そして、音色には優劣がない。だから多種多様な楽器が存在し続ける=淘汰されないのです。

今回発明されたピアノは、構造的にも澄んだ音が出るそうです。

しかし、澄んだ音「の方が」優れているとは言えないのが楽器というものです。

エレキギターなんて、わざと音割れを起こしている(歪ませている)のですよ。澄んだ音からは程遠い。

でも、ジミ・ヘンドリクスが澄んだ音で弾いたらもっとよかった、という人はあまりいないのです。

 

グランドピアノと比較して

未来鍵盤のときほどの圧倒する音の美しさはなかった

と書いていますが、その感覚自体が限りなく個人的だし、たとえそうだったとしても、現行のピアノとの優劣判断にはなりません。

 

 

この未来鍵盤は、普及してほしいと思います。

しかし、それは今のピアノよりも優れたものとしてではなく、全く新しい楽器として普及してくれたら面白そうだと思います。

楽器名も変えたほうが良いかもしれない、と思うくらいです。

現行ピアノと未来鍵盤のアンサンブルなんて、とても魅惑的で興味深いですよね。

 

 

famo-seca.hatenablog.com

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