日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

勉強の本来の意味を私はこう考えます

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少なくとも私は今、勉強が好きです。

しかし、学生の頃から好きだったかというとそうでもありません。

おそらく学生で勉強が好きというのは少数ではないでしょうか。

この記事に掲載されている統計によると、

勉強嫌いの比率は、小1~6は20~30%台

とあります。これも間違ってはいないでしょう。勉強好き、嫌い、その間というのがあるということでしょうね。

私の学生の頃は、その間ですね。

 

そういう意味で考えても、やはり勉強嫌いが多いのは嘆かわしいことだと思います。

しかし、そもそも勉強とはどういう意味で使っているのでしょうか。

 

この記事に掲載されている統計はアンケートによるものですが、アンケートで「勉強が好きですか」と聞かれた場合、その勉強の指すものは、おそらく机の上で行う学校の勉強のことでしょう。

しかし私が、勉強嫌いが嘆かわしいと思う理由は、そういう狭い意味での勉強ではありません。

もし本来の意味での勉強が嫌いという状況ならば、ということです。

 

本来の意味での勉強、それはわからないことをわかろうとするために行うこと全て、です。

対象はなんだって良い。

机の上の勉強にかぎらず、なんだって良いと思うのです。

 

例えば批判対象になりがちなゲーム。

ゲームのルール、やり方、攻略法を学ぶことは、わからないことをわかろうとすることに違いありません。

もちろんスポーツも遊びもそうです。

わからないことをわかろうとするための行動を起こし、その結果出来なかったことができるようになる、理解できなかったことができるようになる、これが本来の意味での勉強です。

 

繰り返しますが、勉強嫌いが増えるのは嘆かわしい。

その意味は、わからないことがわかるようになるために行動を起こし、結果できなかったことが出来るようになるというところに喜びを感じない、ということに対して嘆かわしいと思う、ということです。

対象が何であるかが問題ではありません。

 

詰め込み教育では、勉強嫌いになるのも無理はありません。

本人が何に興味があるかどうかを無視して勉強の対象を義務教育という名のもとに狭め、その対象の成績を調べるためにテストを行い、そのテストの点数をあげる為の授業で行う。さらに、そんな狭い対象での成績でその子の成績が決まる印象があります。

これで勉強が好きになれと言われても無理があります。

好きになる子どもは学習の意欲が高く、方法も工夫している

こう書いてありますが、それはテストの成績をあげて人に認められたいという目的だけならば、私の言う本来の意味での勉強好きではありません。

私は勉強好きですが、テストもないし成績もない。勉強、テスト、成績がセットになっていると感じさせるのは、勉強嫌いをますます加速させると感じます。

 

勉強の楽しさは独りで完結するものです。役に立つからとか、人より優れているとかいうのは、勉強の好き嫌いとは別で考えたいものです。

 

人生全体だって勉強です。人生の成績ってありますか?

あるとして、それは普遍的な物差しで測れますか?

多分ムリです。何を持って成績が良いとするかは決められません。

あえて言えば幸福度のようなものかもしれませんが、それこそ限りなく個人的なものです。

 

 

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