日々じゃーなる

日々の生活でおもったことをなんとなく、でも結構まじめに綴るブログです。 趣味は読書とビリヤード。仕事は音楽関係。

芸術に勝ち負けは不要

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音楽にさほど興味がない人でも知っているバイオリンの名器、ストラディバリウス。

その価格はとんでもないことになっています。

多くのバイオリニストは、演奏して報酬をもらい、そのお金をほとんどストラディバリウスの支払いに充てると言います。

 

そんなストラディバリウスの音が、現代製に負けた、という記事です。

負けたというのは、オーディエンスの中で現代製の方がよい、という意見の方が多かったということを意味しています。

 

音楽は、楽器も曲も音色も、何をもってして「良い」というかの基準がありません。

これは音楽に限らず、芸術分野はすべてそうです。

むしろ、それが芸術と呼ばれる所以とさえ言えます。

 

だから、この記事のように、多数決で現代製が勝ったということと、芸術的に、つまり楽器としてどちらが良いかということは、基本的には関係ありません。

 

 

芸術分野では、よく「本物」という言葉が使われます。

楽器で言えば、本物の音がする、などですね。

しかし、何をもって本物なのでしょうか?

 

私は絵画に明るくありませんが、モナリザくらいは知っています。

本物のモナリザを見て、例えば自分の子どもがそれを真似て一生懸命書いた絵があったとします。

ダビンチの本物のモナリザと、自分の子どもが真似て書いたモナリザ

この2つの、一般的な価値の差は比べ物になりません。

しかし、私にとっては後者の方が価値があります。

 

一般的な価値と個人的な価値に相違があってよい、ということがとても重要なんです。

前者のモナリザにも、それが書かれる色々な背景があるでしょう。

しかし、自分の子どもが真似て書いたモナリザは、その背景をありありと感じ、その感じ方のほうが私にとっては「本物」に近い。

自分の子どもが書いた本物のモナリザ、です。

 

芸術分野で使う「本物」というのは、こういうことではないでしょうか。

巷で言われている素晴らしいものと、自分が思う素晴らしいものに差があり、それらがどちらも独立して共存している、というのが芸術です。

 

芸術分野以外では、そうはいかないでしょう?

わかりやすいのはスポーツですね。

定められたルール内で好成績をおさめることを目指すのがスポーツです。

100mを10秒で走る人よりも20秒で走る人のほうが賞賛されることは絶対にありません。

 

 

記事では、「負けた」という表現を使っていますが、統計上現代製を選んだ人が多いという結果が出たというだけで、そもそも勝ち負けの問題ではありません。

 

あなたが良いと思ったものは、たとえ1万円のバイオリンでも良い。

あなたが良くないと思ったものは、たとえ1億円のバイオリンでも良くない。

それを判断できる耳をもっているかどうかなんて、大した問題ではありません。自分の感情に素直に従ってよいのが芸術であり、楽器であり、音楽です。

 

 

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