清潔感って、人によって実はかなり差がありますよね。
いきなり話がそれて申し訳ないのですが、日本は家の中と外に意識的な「厚い壁」を作っている気がします。
つまり、お互いの家に行き来するような仲、というのはかなり仲が良いことを意味することが多いということです。
まあまあ仲が良いくらいでは、家にあげたりしない人も多いのではないでしょうか。
それは日本の家が靴を脱いで入ることや、玄関の扉の多くが外開きになっていることに起因するという説もあるようですが、実際のところはどうなんでしょうか。
話を戻します。
ということで、その人の清潔感が最もよく表れるのが生活空間、つまり家の中なので、家に行き来するような仲になってはじめてその人の清潔感を知り、愕然としたということもあると思います。
冒頭の記事もそうかもしれませんね。
普段外であっている時には気づかない清潔感でも(そもそも外で出会って気づくレベルの清潔感欠如はかなり問題ですが)、生活空間、この場合は台所では気づくし、気になるし、忌み嫌うところまでいっちゃうわけです。
清潔感って、理屈ではありません。
例えば、小学校の頃に先生が言った言葉を思い出してみます。
皆さん、トイレの便器にいる菌の数と、洗っていない手にいる菌の数は、手のほうが多いんですよ。
だから、洗っていない手でパンを食べるのは、トイレの便器にパンを付けた後食べるのよりも汚いんです。
ちゃんと手を洗いましょうね
これが本当に正しかったとします。
便器ににつけたパンが一つと、手を洗っていない手でつかんだパンが一つあったとして、どちらかを選べと言われて、便器につけたパンを選ぶ人っていると思いますか?
多分いませんね。
清潔感って、そんなものだと思います。実際の菌の数が気になっているのではなく、生理的にいや、ということとそうでないものがあり、それが人によってマチマチだということですね。
人によってマチマチなことなので、当然そこでは衝突が起きます。
生理的に嫌かどうかの衝突なので、不毛な争いです。片方が片方を論破して説き伏せようとしてもほとんど良い結果は得られないでしょう。
こういう時は、歩み寄りが一番です。親しい仲(例えばカップルや夫婦、家族など)ならば、歩み寄りだけが唯一の解決方法でしょう。
そこまでの関係ではない場合(冒頭の例はこれにあたります)、郷に入っては郷に従えの精神ですね。
そのくらいの器はもっていないと、息苦しい日々になっちゃいます。
人はみんな違うので、仲良くなりたいのならば歩み寄りの精神は必要だし、そうでなければ仲良くならなければ良いだけですね。
ちなみに、、、
私はスポンジをわけない派でしたが、結婚してわける派に変わりました。
そもそも、生理的に嫌、とかいう感情がこれに関してはなかったので、スムーズな変更を遂げました。